東京オルタナ写真部では「プリントスタディ」という批評会を開催しています。ある作品や展覧会を取り上げて、感想や批評を述べ合いディスカッションする批評のワークショップです。今回取り上げた展覧会は、「岡上淑子 フォトコラージュ 沈黙の奇蹟」展(東京都庭園美術館)です。

このプリントスタディの内容をまとめました。  銀塩アナログ写真ワークショップ:プリントスタディ東京オルタナ写真部では、アナログ写真ワークショップ参加者によるグループ展を年に2回開催しています。参加者の制作プロジェクトを講評する機会を「プリントスタディ」として設けてきました。グループ展参加作品のレベル向上にともない、プリントスタディを定期的に開催し、より充実したものにしたいと思います。主な内容は以下の2点になります。1 制作プロジェクトの講評次回グループ展に向けて、それぞれの制作プロジェクトの内容...

 

 

『岡上淑子 フォトコラージュ展』について

雑誌の写真を切り抜き、コラージュ作品を制作した岡上淑子。その制作期間は1950年からわずか7年だけであり、近年再評価されるまで何十年も忘れられていました。この展覧会は、公立美術館による初の岡上作品の作品展です。

 

プリントスタディ:作品批評をしてみよう!

見たままの感想の先へ

作品を見て何かを感じるのは作品と出会う出発点です。しかし、見て感じたことをただ述べるだけのレベルにとどまっていては、より作品を理解し深く味わうことはできません。自分の好き嫌いを言うだけの段階を超えていくにはどうすればいいでしょうか。

たとえば日本で人気の高いモネの絵を「きれいねぇ…」と眺めることは間違いではありません。しかし、当時、彼の絵がスキャンダルになるほど過激で前衛的であったこと、保守派を激怒させ激しい批判を浴びたこと、その権威たちに反旗をひるがえす展覧会を自主開催したこと、それが印象派というムーブメントの開始であったことを知ると、同じ絵に対する見方はまったく変わってくるはずです。

さらに補足すると、印象派の第一回展覧会が開かれた場所は、写真家ナダールのスタジオです。当時は写真もまた美術界からはうさんくさい新参者と見なされていました。そこでナダールとしては、印象派の画家たちと共同戦線を張るつもりで会場を提供したのかもしれません。

クロード・モネ『印象・日の出』1872年

 

最初に出てきた感想:「シュルレアリスムの作品」

さて今回のプリントスタディは岡上淑子です。当日のディスカッションのやりとりを紹介してみます。参加者の方からまず最初に出てきた感想はこんな感じです。

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「コラージュってどう見たらいいのかわからなかったが、これはアーティストが思い描いたものをそのまま表現する方法なのだと思った。」

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「作品解説にあった美術用語『デペイズマン(意外な組み合わせの居心地の悪さ)』が全てを言い得ていると思う。この作品は、異質なイメージを組み合わせてシュルレアリスムの世界観をつくっている。」

上記の感想に対して、次にこんな意見が出てきました。

 

岡上淑子の作品:芸術/遊び

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「岡上のコラージュ作品が『思い描いたものを表現する方法』というのは少し違う気がする。むしろこれはイメージの積み木遊びのようなものではないだろうか。写真の切り抜きを組み合わせているうちに、自分でも予期しなかった面白さや美しさが現れるのをその場で楽しんで作っているように思える。プランが先にあったのではないだろう。

『作品とは作家が頭で思い描いたものを表現したもの』というのはステレオタイプな見方ではないだろうか。」

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「これらをシュルレアリスムの作品だとしてデペイズマンなどの言葉でくくってしまうことは、誤解へ導くのではないか。岡上はシュルレアリスムなどの芸術性を意図したわけではない。芸術としてやっているわけではない、という岡上自身の言葉が展示でも紹介されていた。

自分は、彼女の作品に若い女性が抱くあこがれを感じた。岡上は、彼女自身があこがれるイメージを切り抜き、組み合わせて、自分の好きなものを作ったのだろう。

芸術の世界に参加して評価を獲得することが目的ではなく、自分にとっての美しい世界、魅力的な世界をつかもうとしてただけではないか。」

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「岡上が生まれたのは昭和4年。自分の祖母と同世代。

ものごころがついてからずっと戦争の時代を過ごした自分の祖母は、欧米文化への強いあこがれと夢を持っていた。祖母の世代は岡上と同様に洋裁を習うひとも多かった。岡上の作品は、この時代の若い女性が誰もが持った欧米の消費文化への憧れを、ピュアに表現したものではないだろうか。」

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「この作品量は、きっと制作が楽しくてしょうがなかったのだろう。岡上の作品には子供の遊びと似た感じがある。しかしだからこそ、わずかな期間しか制作できなかったのではないか。創作の源である少女時代のあこがれのようなものは、その後の人生でやがてなくなってしまったのではないだろうか。」

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なるほど!

岡上作品は、芸術を意図したものではなく、消費文化へのピュアな憧れを楽しむ美的な遊びだった。


岡上が生きた時代背景、年齢、制作履歴、手記などの資料、そして作品そのものの分析を通じた、刺激的で説得力のある見方だと思います。芸術的な評価が第一の目的ではない作品制作とは、まさにわれわれアマチュア写真家にとっても親しい問題です。アマチュアである自分は、なぜ制作するのか、何を制作するのか。
…と、この後にもディスカッションは続きました。

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この展覧会の私の感想ですが、とても見ごたえがありました。
会場である旧朝香宮邸のアール・デコ建築により、少女的な空想がそのまま大規模な空間へとリアライズ(現実化)しています。雑誌の切り抜きが壮麗な建築のスケールに!まさにスペクタクル!

また瀧口修造と岡上淑子の長年にわたる親密な交友が、この展覧会のもうひとつのストーリーになっているのも見逃せないところです。

消費文化への憧れを形にした岡上作品は、急激に評価され、それ自身も世間の消費の対象になってしまいます。岡上への瀧口の気遣い、そして制作を終えて地方へ引っ越した岡上との長年に渡る文通など、美への憧れを共有したふたりの交友は、世間の評価とは全く別の場所にある芸術の本質について考えさせられます。

岡上淑子 ©Okanoue Toshiko

 

東京オルタナ写真部のプリントスタディ

作品を批評するワークショップ、プリントスタディは定期的に開催しています。どなたでもご参加いただけます。またプリントスタディで取り上げてほしい展覧会がありましたら、ぜひお知らせください

 

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次回は『写真の起源 英国』展@東京都写真美術館を取り上げます。4月6日(土)。

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