20世紀を語る「声」
2022年11月、日本向けのコダックケミカル(現像用薬品類)の生産終了がアナウンスされました。生産終了した製品には「フィルム現像液D-76」も含まれます。これによって、コダック純正の現像液D-76はもう日本には供給されなくなりました。
「フィルム現像液D-76は、写真史上もっともよく使われた現像液だ」
これは揺るがない事実です。しかしその意味は?現像液D-76というひとつの時代を考えると、その意味は歴史的なものへと大きく変化していっているのではないでしょうか。
これは以前書いたブログ記事のタイトルです。しかしいまやコダックの正規D-76が日本で入手できなくなり、この現像液は突然、歴史的遺物となってしまいました。昨日までの顔なじみがいきなり伝説に!
そしてこれは、D-76はこのまま放置すると文化そのものが忘れられ、失われてしまうような存在になってしまったということです。「存在意義が失われた」どころではない。絶滅危惧文化です。保護しなくては。その後、他社からD-76同等の製品がいくつか出ているので、いまもD−76系現像液の入手はできます。しかしこのフィルム現像液の意味合いは後戻りできないほど、大きく変化しました。
1927年に発売されて以来もっとも使われたフィルム現像液、D-76。それはつまり、20世紀の写真はほとんどがD-76で現像された画だということです。コダックの製造中止により、いまやD-76は実用的な意義よりも、その「歴史的意義」のほうが重要になったと言えます。
20世紀を記録したフィルム現像液D-76。フィルムで撮影した写真にノスタルジックな20世紀トーンがほしい時、D-76系の現像液は鉄板でおすすめです。
「アナログ写真」が保護される文化へと変化していることは以下の記事にも書きました。
ここからは、D-76について個人的な経験もふまえた記録のようなものとして書いておきます。
このような挑発的なタイトルで記事を書いたのは理由がなかったわけではない。なぜなら、日本の写真文化では「フィルム現像はD-76しか使わない」という風潮がずっと続いていたわけだから。いや、なんでそこまでD-76推し?アンセル・アダムスだっていろいろな現像液を研究して使ってるのに?なんでD-76以外は邪道みたいな話になっている(いた)のか?という疑問もあって書いた記事だった。
写真の主流がデジタルになったいま、あえてアナログ写真を撮るのだから、かっこいい画を目指していいのではないか。コストと安定性は優れているが凡庸な画になりがちな現像液D-76を使い続ける理由はとっくに失われているのではないか。というのがその記事のおおまかな主旨だ。理屈に合わないことは言っていないつもりだが、この記事への反発はあった。ほとんどは匿名の投稿としてだが。
しかしそれを書いた時からも、もう時代が変わったと言える。あえて区切るなら2000年からの20年間ほどは、写真にとって「Photoshop以降、AI以前」という時代だったと言えるかもしれない。
これだけアナログ写真時代が遠くなったのだから、「日本の写真文化はガラパゴス化した特殊なものだ」ということについて、そろそろ話せるのではないか。そのような視点からの歴史検証が可能な時期だろう。このことについては様々な面から指摘することができるが、たとえばそのひとつが、日本では写真家アンセル・アダムスを権威として認めつつ、同時に現像液はD-76しか使ってはいけないという風潮が支配的だったことだろう。
実際にはアンセル・アダムスは現像液マニアといっていいほど様々なフィルム現像を研究している。たとえば彼の代表作のひとつ「月の出、エルナンデス、ニューメキシコ」(1941年)は、アミドールを使った水浴現像というトリッキーな現像方法を用いている。この現像方法によって、輝く月と夕闇に沈む集落を同じ画面に撮影することができた。そしてこのテクニックを用いたことは、アダムス本人が語っている有名なエピソードだ(Ansel Anecdotes)。
そのためアンセル・アダムスをほんとうにリスペクトしているのなら、多様なフィルム現像液の研究をするのでは?と考えるところだが、日本ではそれはない。アンセル・アダムスは「ゾーンシステム」などの写真メソッドを提唱した。だが日本で書かれたアダムスのメソッドの解説本には、D-76系以外の現像液についてほとんど触れられていない。日本の特異な写真文化の中では、写真の神アダムスがD−76以外の現像液を使用していることは、触れてはいけないようなことだと感じられたのかもしれない。
ともあれ、20世紀の終わり頃に写真を始めた若い学生にとって、D−76以外の現像液を知る機会はほとんどなかった。そもそもアナログ写真はどのようにして画が作られているのか、写真表現としてのフィルム現像とは何か、それらを学べる環境がなかった。だれも知らなかったからだ。D-76を使うことだけが教条的に推奨され、アナログ写真の絵画的イメージの形成メカニズムを知ることは、まるで禁じられているかのようだった。なぜそんな状況になっていたのか、いま思えばその理由も誰も知らなかっただろう。ただ日本では、写真に絵画的な美を求めることは「写真ではない」とする風潮だけがあった。
だが、その状況もいまやひとつの歴史だ。それが「日本の写真史」なのだと理解できるようになるには時間という距離が必要だった。「歴史」はゆっくりと姿を現す。デジタルカメラが普及してきた2000年代初頭、写真家たちは「デジタル写真は写真ではない」と論調を張った。そしてAI技術に揺れる現在の写真の状況。これらの出来事は、近い将来に「歴史的な事項」として振り返られるはずだ。
アナログ写真が無形文化遺産に申請される時代を私たちは生きている。これからの時代において、D-76の現像処理は20世紀の声を再現する歴史的技法として保存され記憶されるべきだろう。
「アナログ写真の基本的なトーンはフィルム現像液によって作られる」という基礎的な知識は、日本ではいまなお一般的ではない。ともあれ、D-76にはD-76の特有の描写があり、それが20世紀の写真のトーンとなっている。私たちは遠くなった20世紀を写真によって知るとき、D-76の画を通してそれを見ている。20世紀が歴史的時代になるととともに、現像液D-76はその時代を語る「声」になったと言えるだろう。
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