私たちは作品を誰にみてもらいたいのだろう
前回のコラムに、作品を制作するには批評の言葉が大切だと書きました。
しかし、批評が成立すればいい作品だと言うわけではないのは当然です。なぜなら、私たちが作品を制作する理由は何よりもまず、他の人の気持ちに訴えかけたいからです。
SNSで「いいね」をたくさん集めることも、批評が成立することも、悪くはない。しかしもっと大切なことは、自分の作品が他の人の内面に届くことです。
私たちは自分が本当に他の人と「同じ色」を見ているのかどうかさえ、確かめる方法を持っていません。ひとりひとりが窓のない小部屋に閉じ込められているようなものです。もし写真の作品がその壁を超えて他の人に伝わるなら、それは奇跡です。それは限りなく不可能に見えるけれど、でもそのことはあきらめる理由にはならない。私たちが作品を作るときにどこかで願っているのはこういうことだと思います。
写真の作品を誰に見てもらいたいのか、誰に届けたいのか。それは人それぞれだろうと思います。SNSにいるたくさんの人々に見てもらいたい。有名な写真家や評論家、ギャラリーディレクターに認められたい。どちらも理解できます。それは誰から見てもわかりやすい「成功」ですから。しかし本当に作品が誰かに届いたときは、そのようにはっきりとはわからないものかもしれません。
個人的な話
少し個人的なことになりますが、私の場合を書いてみたいと思います。私は東京オルタナ写真部を主催している写真家です。大藤健士といいます。私も自分の作品を評価してもらいたいと人並みに考えてきました。いろいろな人に自作を見てもらったことがありますが、写真に専門的に関わる人々からもらった評価はこんな感じでした。
これでは仕事にならない。クオリティを下げたほうがいい。
こういうのは人に見せずにしまっておきなさい。
こんなのは写真ではない。
仕事で大量に写真を見る人たちですから、私のような無名の作家の仕事にいちいち注意を割いていられないという事情はあると思います。しかし私が彼らから感じて驚いたのは彼らの鈍さでした。
作品を見るということは、他の小部屋の住人を知るようなことだと思います。何を言っているのかを聴き取るためには澄んだ耳が必要です。写真家や作品を評価することを仕事にしている人々は、ふつうの人よりもよく聞こえる鋭い耳を持っているのだろう。そう思っていました。私も若かったですね(笑)。写真に関係する人みんながそうだというわけではないですから、私はたまたま運が悪かったのだと思います。
ともあれ、若くせっかちな当時の私は幻滅して写真や美術の業界と全く関係のない家具屋さんで自作の個展を開くことにしました。その個展に来てくださった人々と会えたことはとても嬉しいことでしたが、なかでも二人、私にとってかけがえのない人が私の作品を見に来てくれました。俳優の大杉漣さんと、歌手の「森田童子」さんです。
大杉漣のこと
私にとって大杉漣は舞台俳優でした。
四畳半のアパートで一人で暮らしている老婆。ぼろぼろの服を着て一言も口を利かない。彼女は小野小町だ。伝説の歌人で絶世の美女だった。彼女は理想の恋人を妄想する。男は夢の闇の奥から一足ずつ現れ、小野小町と光り輝くような性愛を交わす。能舞台でその理想の恋人を演じたのは大杉漣だった。
— 東京オルタナ写真部 (@TokyoAltPhoto) 2018年2月21日
『小町風伝』転形劇場(演出 太田省吾)。俳優は2m移動するのに5分以上かかるほどの低速度でしか動かない。セリフはほとんどない。能舞台に組まれた最低限のセット。それもやがて俳優たちに持ち去られ、舞台には何もなくなる。そこで「ダフニスとクロエ」が流れ、ふたりの愛の交歓が始まる。 pic.twitter.com/hXjIHwK8ks
— 東京オルタナ写真部 (@TokyoAltPhoto) 2018年2月21日
狭い能舞台に宇宙を思わせる巨視的空間が出現する。そこでたったふたりで無時間的な輝くような愛を交わす。 演劇に、俳優に、人間にこんなことができるのかと震撼した。
— 東京オルタナ写真部 (@TokyoAltPhoto) 2018年2月21日
クラシックバレエで男性ダンサーが女性ダンサーを抱えあげる「リフト」。『小町風伝』のクライマックスにもリフトがありました。大杉漣が、バレエの何十倍、もしかすると何百倍もの時間をかけてゆっくりと高々と小野小町を抱え上げる。あの身体、あの瞬間がどれほど美しかったか。あの渾身のリフト。
私にとって大杉漣は「名バイプレーヤー」ではありません。不世出の俳優です。彼が舞台の上で私に見せたものは、私にとってまさしく「奇跡」でした。
「森田童子」のこと
自分の作品をウェブサイトで公開し始めた頃、ネット掲示板を介して知り合った女性から突然呼び出されました。私の作品や文章を気に入ってくれたようなのですが、飲みに誘ってくれたというよりは「呼び出された」感じでした。会ってみると人なつこくよく話す、とても楽しい人でした。ずいぶん話したあと「歌を歌っていたことがある」とぽつりと言いました。私は彼女に、良く似た歌手を知っていること、自分が初めて買ったレコードはその歌手のものだったこと、それからその歌手のレコードは全部買ったことを話しました。要するに私はファンでした。その歌手「森田童子」は消息不明だということも知っていたので、本人がいま目の前にいることに非常に驚きました。
彼女は「消息不明」であることが必要だったし、またそれをどこか楽しんでいたと思います。私はかつて、暗く静かで透明で激しい彼女の歌に全身を掴まれてしまいました。彼女「本人」に会ってからは、歌のイメージとはまた違うスケールの大きな人格に魅了されました。
家具店で開催した私の個展を見に来てくれたふたりは、私の作品の声を聞き、それを喜んでくれました。私と会ったこと、私の作品に出会ったことを喜んでくれました。このような共感のために私は作品を制作していたのだと知りました。私は彼らふたりに自分の作品を見てもらえたことで、本当に写真家になったのだと思っています。
最近、私の昔の作品のシリーズを見直してみると、見間違えようなく二人の面影が写っていることに気がつきました。上半身裸のパントマイム俳優のモデルに私は大杉漣を見ていました。そしてこの作品を暗い青色に沈めているのは、森田童子の歌の大気です。
ふたりは私の作品を見て言葉で分かりやすいようなことは何も言いませんでした。しかし私が何を目指さなくてはならないのかを深く教えてくれています。それに、自分が作品をどのような人に見てもらいたいと考えているのかも彼らのおかげではっきり理解しました。
彼らは、私が写真家であることを励まし続けてくれています。
(ふたりは今年、2018年に逝去しました)