• アナログ写真ワークショップの基礎クラスでは、初回に好きな写真を持ってきてもらいます。そして、その写真のどこにどう惹かれるのかを説明してもらっています。これが毎回とても刺激的で楽しいので、今回のワークショップに持ってきてもらった作品からふたつ紹介してみます。

ふたつ目は、月面の写真です。

アポロ16号が撮影した月面の写真

この写真を持ってきてくれた参加者の方の言葉はこうでした。

「ここは私が決して行くことのない場所です。しかしそのような場所がこの世界に実在していることをこの写真が見せている、そのことにとても驚きます。

そして実は私はここに懐かしく古いなじみがあるものを感じます。昔住んでいた場所は雪が積もった日にはほんとうにこの写真のような風景になりました。

しかしそんな懐かしい気持ちにも関わらず、私は決してここに立ち、この風景を見ることはありません。ただ写真だけがこの風景が存在することを私に示しています。」

私が決して行くことのない場所、そこが本当に存在することを写真が示すことに驚きを感じる。そして不思議なことに、私はその写真に懐かしさを感じる。この参加者の方はそう言います。

Apollo 16 / NASA

天文学的な費用をかけた国家的科学プロジェクトで撮影された写真に驚異とともに懐かしさを感じる。これはとても興味深いことです。またとても詩的な写真の見方だと思います。そのような見方を示されると、私もこの写真に遠い懐かしさを感じずにいられなくなります。

ロラン・バルトは『明るい部屋』という写真論で写真の本質に迫ろうとします。この試みは座礁するのですが、不完全ながらもロラン・バルトが到達したのは次のような地点です。

  • 写真はそれが実在したことを示している(写真のノエマ)
  • ある種の写真は懐かしさのような感情を掻き立てる(写真の狂気)

これはまさしく、この人がアポロ16号の写真に感じたことそのままです。

ロラン・バルト自身はこんな誰でもすぐにわかることにしか辿りつけなかったことを本の中で嘆いていますが、それでもこれは確かな到達点です。私たちはこのように写真を認識し、受け止めていると言うことができます。

しかしここが終点でしょうか?ロラン・バルトの論考の先に進むことは可能なのでしょうか?

結論としては可能です。ロラン・バルトが到達した場所から先へ進む試みをアナログ写真ワークショップのアドバンストクラスで行っています。またその準備として『明るい部屋』を写真家の立場から精読する読書会を開催します。

ロラン・バルト『明るい部屋』を読むこの現象学を基礎に書かれた写真論の読書会&レクチャーを開催をします。『明るい部屋』でロラン・バルトは写真の本質を理解しようと思想の旅を開始しますが、座礁してしまいます。試みとしては失敗しましたが、写真を巡る経験を内省した美しい写真論となっています。誤解を招きがちな言葉遣いの向こうにある、ロラン・バルトの真摯な試みを理解できる読書会にしたいと思います。写真で表現をする人の哲学の導入になれば幸いです。 『明るい部屋』読書会&レクチャー 開催概要:終了しました。開催...

なぜ好きな写真について説明するのか

アナログ写真ワークショップではこのように、好きな写真についてどこにどう惹かれるのかを説明してもらいます。中には目的をうまく捉えられないで、写真家の説明やプリント上の工夫を解説したりする人もいます。しかし私が聞かせてもらいたいのは、その写真が自分にどのようにやってくるのか、ということです。写真家のことやプリントの工夫などの周辺のことはひとまずどうでもいいのです。まずその一枚の写真が自分にどのように現れるのか、それが自分の中に何を起こすのか、それを説明してもらいたいのです。

そんなことは必要ないだろうと言う人もいると思います。感性は感性だ、言葉にするものじゃない。そう言う人もいるかもしれません。

しかしその「感性」はどこまであなた自身のものでしょうか。そもそも自分だけの感性などというものは実在するのでしょうか。これに答えるのは難しいと思います。ですから確実に先に進むために「感性」という実在の疑わしいものについては考慮しないようにします。

それよりも私たちアマチュア写真家にとってもっと切実なことは、自分はその写真にどうしても惹かれてしまうという事実です。その写真を見ると、他の何ものにも替え難い感覚が自分の中に現れる。もしそれをはっきり見分けることができれば、自分が作品制作をするときに独りよがりになることを避けることができます。

「これがいいからいいんだよ」ではなく「自分にはこれがどうしても美しいと感じる」という感覚を作品制作の基礎にできると方向を見失わずに進むことができます。それさえも自己満足かもしれません。しかし、少なくとも自分自身は深く納得し満足のできる作品を目指すことができます。写真家自身にまず深く満足を与えない写真が「作品」になることはないと私は思います。

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