二人の思想家と批評家:ロラン・バルトとケネス・クラーク

 

芸術、美術、アート。
優れている、優れていない。

その評価って何なんでしょうか。わたしたちが一般的に考える美術評価の方法は2種類あるように思われます。

A:「ひとが高く評価しているものがいいんだよ。」
B:「自分がいいと思うものがいいんだよ。」

A:本やメディアで取り上げられ評価されている作品が評価されるべきものだ。あるいは、B:作品の評価は自分の好き嫌いの感覚で決めていい。このどちらかを、状況に応じて使い分けているというのが実情ではないでしょうか。少し考えてみればすぐわかることですが、このふたつをうまく組み合わせて話せば、なんとでも言うことができます。場当たり的といえば、そうとも言えますね。そして実際に多くの場面で作品の評価はこのようにして行われています。

では作品の評価ってそんないい加減のものなのか?もっと確かなものってないのか?

現在、東京オルタナ写真部ではロラン・バルトとケネス・クラークのふたつの読書会を開催していますが、このふたりの著者はまさにこの問題に挑んだ思想家と批評家だと言えると思います。ただし、ふたりとも、全く反対方向に突っ走っています。彼らは、このふたつの評価方法を、いい加減な部分が残らないように徹底して考えようとします。

ぜひこのふたりを紹介したいのですが、まずは美術作品の評価について、もう少し考えてみます。

 

美術作品の評価

19世紀のアカデミック絵画

 

19世紀後期のヨーロッパ。美術界の中心はアカデミック絵画と呼ばれる絵画でした。美術アカデミーは芸術界の最高権威であり、アカデミーが主催する展覧会「サロン」の審査を通過して作品を展示できることが、画家として認められるということでした。

一世を風靡したアカデミック絵画ですが、その後の時代に批判され、20世紀なかごろには美術史からほぼ追放されます。ケネス・クラークによると、1950年頃には19世紀のアカデミック絵画が美術館で展示されることはほとんどなくなっていたようです。1)1983年のオルセー美術館開館をきっかけに、ここ数十年でアカデミック絵画の再評価は進んできています。

この時期の重要な美術ムーブメントといえば、もちろん「印象派」です。ちなみに印象派は、このサロン展の審査に落選した画家たちの自主的なグループ展がその始まりです。当時の「印象派」は、世間からは嘲笑の対象であり完全に負け組でした。「近代美術の父、エドゥアール・マネ」などという現在の私たちが常識としている西洋美術史は、その評価が逆転した後に構成された歴史観によるものです。

 

エドゥアール・マネ 《草上の昼食》 1862-63

 

マネの代表作《草上の昼食》は1863年に発表されました。しかし1863年の美術界で最も高い評価を得ていたのは、当然、マネではなく次の絵です

 

《ヴィーナスの誕生》アレクサンドル・カバネル 1863年

19世紀後期はこのような絵が最も称賛され、画家にはステータスが与えられ、作品は高値で購入されました。アカデミック絵画が後に批判された理由は、保守的で形式化し、パトロンであるブルジョワの好みに迎合し、技巧的で内容のない絵である。などといったところです。それらの絵の多くは、古代ギリシャのモチーフを描きましたが、理想美の追求というよりは、ただ意匠として使ったにすぎないように見えます。しかしこのような芸術観もまた20世紀なかばのものであり、確かな評価である保証はどこにもないのです。

 

アート批評ワークショップ「作品を見る、語る」

 

東京オルタナ写真部のアート批評ワークショップ「作品を見る、語る」では、各自が作品批評を書いてそれをもとに議論します。先日のワークショップの参加者に、次の絵で批評を書こうとしてくれた人がいました。この絵は上野の国立西洋美術館の常設展で展示されています。

 

《ド・ラ・パヌーズ子爵夫人の肖像》レオン・ボナ 1879年

 

…サロン画です。むっちゃ19世紀サロン画!歴史に消えた徒花!
私だったらきっと批評を書くにあたりこの絵を選ぶことはなかったでしょう。その理由は上記のとおり、技巧的だが保守的で内容に乏しいという、サロン画にお決まりの評価が頭をよぎるからです。こういう絵にはその評価を超える表現はないという先入観を私も持っています。

しかし面白いのは、この参加者はこの絵をいわゆる「サロン画」として批判するのではなく、積極的に評価しようとしたことでした。美術館でこの絵を見たとき、自分は強く惹きつけられたと感じたので、その感覚がなんだったのか、どこから来るのかを分析してみたい、とのことでした。なるほど。そういうことならやってみましょう!

…だけどうまくいかない。

なぜなら、いざこの絵の分析をはじめてみると、ポーズや表情はレオナルド・ダ・ヴィンチ《モナリザ》そのまんまだし、光や背景の処理はレンブラントだし…と、先人の名作を教科書的になぞっているだけで、評価できる独自のポイントが見当たらないからです。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチ《モナリザ》1503-1519

 

レンブラント《自画像》 1640年

 

では、この絵はみるべきところのないくだらない絵なのでしょうか?
過去の名作のパクリにすぎないのでしょうか?

「肖像画の婦人の笑顔に惹きつけられた」と感じたこの人の作品評価は間違っているのでしょうか?

美術を正しく知れば、このひとの眼は「正しく」矯正されるのでしょうか?

 

「正しい評価」に抗う。わたしたちの議論

 

ワークショップの議論はとてもスリリングでした。それはこの絵を評価することは「独自性がなくてはならない」とする美術の「正しい評価」に真っ向から反論するものだからです。

私たちは、まずこの絵の来歴を調べてみることにしました。すると、国立西洋美術館が購入するまで、この絵は描かれてから140年間ずっと個人の所有でした。個人の肖像画として描かれた絵なのですから、本人かその家族が所有していたのは当然です。つまりこれは美術館で展示されることを前提に描かれた絵ではないわけです。この絵は何らかの事情により2015年に売りに出され、それを日本の国立西洋美術館が購入した。そしてコレクションとして展示されているものを私たちは見ているのです。

この絵を所有していた家族のこの絵に対する感情、この絵を見たときに感じた感覚を、彼ら以外の他人は誰も推し量ることはできません。もし、この肖像画の夫人の家族にとって、この絵に描かれた笑顔やたたずまいが優れて善いものであったなら、この画家は非常に優れた仕事をしたことになります。そしてこのワークショップ参加者は、それを遠くで感じてこの絵に惹きつけられたのかもしれません。絵を見たその人自身の個人的な記憶や感情に結びつく何かがこの絵にはあるのかもしれません。

このような親密で内的な感情。他の言葉やラベルには決して置き換えられない美しさ。もしこれらのことを美術批評が否定しなくてはならないのだとしたら、それは美術の敗北ではないでしょうか。

美術も批評も人が作り出し、人がそれを生きるためのものです。私たちが知っている制度がそれを扱えないのであれば、不完全なのは私の認識ではなく、その制度のほうです。

しかしそうはいっても、一般的な美術批評がこのような個人的な感情を扱うのは非常に難しいことは事実です。

しかしもし、「正しいこと」が、不完全な仕方で語られたものだった場合、私たちはそれに従わずに抗うことができるのでしょうか。

(『普遍性と個別性について-2』に続きます)

 


前回の記事のつづきです。    「正しさ」には従わなくてはならないのだろうか どうしても動かし難く存在し、他の何とも交換のできない私だけの感情。「正しいこと」がそれを否定しようとするとき、私たちは「正しさ」に従わなくてはならないのでしょうか。もし「正しいこと」が、不完全な仕方で語られたものだった場合、私たちはそれに抗うことができるのでしょうか。これに対する答えは「自分が感じればそれでいい。アートに言葉はいらない。」でしょうか?私たちはそれは受け入れられないことはすでに以前の記事に書きました。...

 

 

 アートはただ感じればいい、言葉はいらない? 先日このような内容の少し長文の投稿をSNSでみかけました。「写真はクラシック音楽の英才教育と同じで教えられるものじゃない。評論家などというのは、なにも理解していない。見えないものを感じるのが優れた写真家だ。」多くのひとがこれに「いいね」をしたりシェアしていました。この投稿文を読むと、この人は次のことを前提していることがわかります。作品がいいか悪いかは自分が見ればわかる。評論なんてものは意味はない。アート表現に言葉はいらない。言葉で考える必要はない。ア...

 

脚注

脚注
11983年のオルセー美術館開館をきっかけに、ここ数十年でアカデミック絵画の再評価は進んできています。