写真の起源とゴシックロマンス:レイコックアビーのヘンリー・フォックス・タルボット-1 / Lacock Abbey and Fox Talbot museum-1
「写真の発明者」であるヘンリー・フォックス・タルボットの家まで行ってきました…
先日のプリントスタディ(批評会)では東京都写真美術館で開催中の「写真の起源 英国」展を取り上げました。
19世紀のイギリスで写真は生まれましたが、それは現在の私たちが知っている写真と同じものではなかったはずです。彼らはいったいどんな人で何をしていたのか。どんないきさつで写真を生み出すにいたったのか。
「写真の発明者」であるヘンリー・フォックス・タルボットの家まで行ってきましたので、撮ってきた写真交えながら紹介してみたいと思います。
タルボットの住居があるのはレイコックという村です。ロンドンから西に向かって電車を乗り継ぎ3時間弱。美しい景色の広がるコッツウォルズ地方の一角です。レイコック・アビー(修道院)の一帯は、現在、イギリスの環境保全団体ナショナル・トラストの管理になっています。
ナショナルトラスト
Lacock Abbey, Fox Talbot Museum and Village
https://www.nationaltrust.org.uk/lacock-abbey-fox-talbot-museum-and-village
来ました。タルボットのおうち。お屋敷です。
このお屋敷は、もともとは13世紀に建てられた修道院です。どうりでゴシック感満点。増改築を繰り返していますが、主要な部分は16~17世紀にはできていたとか。つまり築400年は確実、最も古いところは築800年!
館内に展示されていた系図によると、レイコックアビーがタルボット家の所有になったのは17世紀初頭のようです。現在もタルボット家の末裔の方が屋敷(敷地)の一部に住んでいます。
写真の発明者として知られるウィリアム・ヘンリー・フォックス・タルボット(1800-1877年)。彼は19世紀の始まりと共にここで生まれ、育ちました。
彼自身が爵位を持っていたのかどうかは知りませんが、不労所得だけで生活を維持できる階層であったことは間違いなさそうです(地主貴族、いわゆるジェントルマンだったのかな)。では彼は何をやっていたのかというと、研究と社交です。いや、きっと研究と社交は重なっていて区別できないものだったのではないかと思います。後で紹介する遺品の一部からも、彼の「研究生活」をうかがい知ることができます。
ともあれ、一方の写真発明のライバルであるフランスのダゲール。彼の職業は見世物興行師ですから、ふたりの出自はずいぶん異なっています。
映画でしか見たことがないようなこのお屋敷ですが、実際に映画に登場しています。
『ハリー・ポッター』シリーズでおなじみのホグワーツ魔法魔術学校の一部はこのレイコックアビーで撮影されています。とくに修道院の廊下と中庭は映画の主要なシーンで使われていたので、訪れるとすぐにわかると思います。
ちなみにハリーの故郷ゴドリックの谷は、レイコックの村で撮影されているそうです。
天気や時間帯によって刻々と表情が変わるのがヨーロッパの風景の魅力ですね。
そして、広大な庭にぽつねんと立つ古代ギリシア(ローマ)風の柱。なんとなく見過ごしてしまいそうになりますが、奇妙だと感じませんか?この唐突さ。なぜこんなところに、こんなものが?
誰も指摘していませんが、この柱はタルボットの写真の発明に関係しています!(たぶん…)
1832年に結婚したタルボットは翌年に新婚旅行に出かけます。タルボットにとって行き先は当然イタリア!あこがれのイタリア!古代ローマの遺産!ルネサンスの芸術!イタリアを訪れて風景に嘆息する!これは教養ある者として経験しておかなくてはならないこと!…とタルボットは考えていた。というのは、私の勝手な推測です。
しかし17世紀以降、イギリスの貴族階級の子弟の間では、フランスとイタリアを外遊するグランドツアーという慣習が広まったこと、そしてそこから派生した、遺跡などの廃墟に崇高さを見るピクチュアレスクという審美的な理念が18世紀に生まれていることを考慮すると、タルボットがイタリア旅行を自分の教養のために必然だと考えていたというのは、あながちデタラメでもないと思います。
またさらに、ヘンリー・フォックス・タルボットの家庭教師はアグネス・ポーターという人で、彼の叔父や叔母の家庭教師と同じ人でした。前世紀から続く価値観を彼が家庭教師から受け取っていたとしても不思議はありません。
ともあれ、グランドツアーが生んだギリシア/ローマの廃墟を愛でる趣味。だからって庭にギリシアの柱を建てるか?写真発明者の家でこんなものに出会うとは!そしてこの柱を見て育ったヘンリーも先祖にならって、いざイタリア旅行へ出発!
少し余談ですが、この17世紀以降にイギリス人が抱いたギリシア/ローマ的なものへの憧れは、廃墟に崇高さや美を見出す感覚を生み、それがやがて18世紀末~19世紀のゴシック・ロマンスへと繋がります。
雑な解説をしますと、中世に建てられた古い屋敷に怪しげな人物が住んでいて…というのがゴシック・ロマンスです(信じないように)。さらにゴシック・ロマンスは名作の下地になっていきます。メアリー・シェリー『フランケンシュタイン』、エミリー・ブロンテ『嵐が丘』、アメリカに渡って、エドガー・アラン・ポー『アッシャー家の崩壊』。
そしてゴシックロマンスは20世紀に入っても数々の映画の中に生き続けます。
『ロッキー・ホラー・ショー』!
ケン・ラッセルの『ゴシック』!
『フランケンシュタイン』の著者メアリー・シェリーが登場します。
コッポラの『ドラキュラ』!
ケネス・ブラナーの『フランケンシュタイン』!(原作に忠実な映画化)
ハリー・ポッターシリーズの暗く陰惨な側面は、このゴシックロマンスに由来しています。
そして2017年には『フランケンシュタイン』の原作者メアリー・シェリーが映画に! 『メアリーの総て』
私たち、ゴシック趣味好きすぎではないか。
余談はさておき、健全な教養人である我らがヘンリー・フォックス・タルボットは、新妻を伴ってイタリアへ新婚旅行に向かいます。そして彼は旅先で受け入れがたい事実に直面します。
それは…絵を描くのが下手だった!妻よりもずっと下手だった!
この話は次回に続きます。
続きです。