タルボットはなぜ写真を発明したのか
道徳の実践としての庭園整備
「タルボットがイタリアに新婚旅行に行ったのは教養人としての努めでもあった」
などと、前回いい加減な知識で書きましたが、あながちでたらめでもなかったように思えてきました。
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少し調べてみてわかったことは、18世紀のイギリスの地主にとって自分の地所の風景を管理することは、モラルや倫理の実践として捉えられていたようです。つまり、人としての正しい行いとして庭園を整備していた。これは現在の日本人にとっては、はるかに遠い感覚ですね!
庭園のデザインについて触れると、18世紀前半に庭園設計士ランスロット・ブラウンが「遠望できるランドスケープ」として庭園をデザインし、貴族たちの絶大な支持を得ます。しかし18世紀後半になると、そのような大規模な庭園設計は批判されるようになります。その批判のキーワードが「ピクチャレスク」でした。
ピクチャレスクは、「崇高さ」や「美」を理論的に定義し、自然そのままの美を愛することや、画家が絵を描くように庭園をデザインすることなどを推奨しました。この記事の最初に挙げたターナーの絵のように、朽ちていく廃墟をそのまま鑑賞することもピクチャレス的な実践でした。
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タルボット邸の庭のギリシャ風の柱
グランドツアーで見たローマの古代遺跡に夢中になった人々が持ち帰った美的な趣味「ピクチャレスク」。18世紀後半の庭園設計では、この新しい美意識に沿うようなデザインが流行します。中にはわざわざ、廃墟のような装飾的な建造物を自分の地所に作る人も現れます。
って、これ!まさに、これ!前回紹介したこの柱!
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なぜタルボット邸の庭に古代ギリシャ風の柱が唐突に生えているのか?
これですっきりしました!18世紀後半のピクチャレスク庭園の流行だったんですね。ちなみにピクチャレスク庭園は、大規模な工事が必要ないため、タルボット家のような小〜中規模の地主にも歓迎されたそうです。
この庭にこの柱が建てられたのは、18世紀後半以降、つまりヘンリー・フォックス・タルボットがこの家に生まれる少し前のことだったはずです。
旅と美:ピクチャレスク・ツアー
また「ピクチャレスク」は、旅とセットです。
著名な「ピクチャレスク」の提唱者であるウィリアム・ギルピンは「ピクチャレスク旅行記」を多く出版しました。彼は、美しい風景を求めて旅行し、それを写生する「ピクチャレスク・ツアー」を実践しました。もちろん「ピクチャレスク」はイタリアを周遊するグランドツアーから生まれた美意識であることも旅と切り離せないポイントです。
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『イギリス湖畔地方のピクチャレスク・ツアー』
T H Fielding, J Walton 1821年
さて、我らがヘンリー・フォックス・タルボットの新婚旅行に話を戻すと、
まず行き先。当然、イタリア!
旅先でしなくてはいけないこと。当然、ピクチャレスクな風景の写生です!
イタリアを旅して、ピクチャレスクな風景に感動し、それを写生すること。それは教養人たるものにとって、道徳的で倫理的な実践なのです。人として道義的で正しくまともな行為なのです!
「ピクチャレスク」も彼の時代になるとかなり通俗的になっていたとは思いますが、それでも美的な実践が道徳や倫理と結びついているという感覚はまだまだ健在だったと思います。
この感覚。旅して画を描くことが道徳的って、われわれ現在の日本人は想像するのも困難ですが、この感覚こそが、ヘンリー・フォックス・タルボットにスケッチブックを持たせてイタリアに向かわせた動機でした。
画を描くならこれ使うといいよ!カメラ・ルシダ
ところでヘンリー・フォックス・タルボットはイタリアへのグランドツアーに先立ち、友人のジョン・ハーシェルから耳寄り情報を知らされます。
「グランドツアー」とはすなわち「ピクチャレスク・ツアー」。
旅をして、美しい風景に感動し、そしてそれを描く!
つまり画を描くことは避けられません。というより、それこそが旅の目的です。そこでこの器具!カメラ・ルシダ!
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カメラ・ルシダはハーフミラーを使った器具で、眼の前の風景と手元の紙を重ねて見ることができます。それを鉛筆でなぞれば風景デッサンの完成!しかも折りたたむことができて、旅行に持っていくにはばっちりです。
スケッチブックにカメラ・ルシダも持参してイタリアに着いたヘンリー・フォックス・タルボットと新妻コンスタンス。各地でスケッチを描いて回ります。
二人が描いたイタリア湖畔地方のスケッチ
1833年8月5日。コモ湖畔にある庭園ヴィラ・メルツィで、ふたりは並んでスケッチします。このとき、二人が写生したスケッチが「写真の起源 英国」展(東京都写真美術館)で展示されています。彼らが描いた風景はまさにこの写真と同じポジション、そしてほぼ同じ構図です。
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イタリア!湖畔!庭園!まさにピクチャレスク!!
ヘンリーはカメラ・ルシダを用いて描き、コンスタンスはフリーハンドで描きました。実際に二人が描いたスケッチは、ぜひ展示を見比べていただきたいのですが、
圧倒的にコンスタンスのほうが上手です。
ていうか、ヘンリー、下手すぎ。あまり言うとかわいそうですが、
ヘンリー、びっくりするほど画がヘタです。
せっかく準備したヘンリーのスケッチブックでしたが、とても旅行の成果として友人に披露できるものではなかったと思います。(まさか190年近く後になって日本くんだりで展示されることになるとは!!)
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タルボットはなぜ写真を発明したのか
さて、ここで思い出すのは、写真の発明エピソードとしてよく参照される次のような話です。
ヘンリー・フォックス・タルボットは、イタリア旅行でカメラ・ルシダを使って画を描いたが、その結果に満足できなかった。そこで写真を発明した。
このエピソードは話としてはわかりやすく、つじつまが合っています。しかしヘンリー・フォックス・タルボットの写真発明の動機はこんな単純なことだったんでしょうか?「必要は発明の母」?たったそれだけのことが、彼を写真研究に向かわせたんでしょうか?
彼が旅行先にイタリアを選んだ理由は、グランドツアー/ピクチャレスク・ツアーの伝統があったからでした。旅をして、風景に感動し、それを描くことは、道徳や倫理にかなった行為だったわけです。
せっかく!せっかく!念願かなってイタリアまで来たのに!画がうまく描けない!
うまく画が描けなかったということは、彼はピクチャレスクの精神を体現するのに失敗したわけです。つまり彼は、教養人としての品位を保つことに失敗したのです。彼の道徳心や倫理観は、波立ち、ざわついたことだと思います。これはヘンリー・フォックス・タルボットにとってはアイデンティティの危機だったのではないでしょうか。
品位を回復するための発明
しかし彼は万能の科学の時代を生きる現代的な人間です(19世紀のね)。アマチュア科学者でもあった彼はこう考えたのではないでしょうか。
この現代に、画を描くのにまだ筆やペンを用いているなんて時代錯誤もいいところだ。この目前の美しい風景を正確に描くための、科学的な方法があるはずだ。光が当たると黒くなる顔料、塩化銀…。これを利用することはできないだろうか…
ヘンリー・フォックス・タルボットの写真研究の動機には、アイデンティティの危機の乗り越えがあった、というのは、あまりに妄想が勝ちすぎているでしょうか。
でも、新婚の妻の前で上手に画を描けなかったんですよ。教養人の基本なのに!機会があればこの失態を挽回したいと彼が考えたのは、無理はないと思います。
ちなみに妻のコンスタンスは後に、世界で初めて写真を撮影した女性となります。もちろんヘンリーが彼女に手ほどきしたのでしょうね。ついに、いいところ見せられたね!
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ヘンリー・フォックス・タルボット撮影
コンスタンス・タルボットについては以下のページなどが参考になります。
フォックス・タルボット・ミュージアム
【聖地】レイコック・アビーの格子窓【巡礼】
タルボットの屋敷の一部はフォックス・タルボット・ミュージアムとして公開されています。
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さて、やってきました。
タルボット邸まで来たのなら、これを見なくては!
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©東京オルタナ写真部
これです!この格子窓!ここが写真の聖地!
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現存する世界最古のネガに撮影されている窓!
このネガは、部屋の内側から外を撮影したものです。
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というわけで部屋の中からも撮影。
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窓の近くの壁には解説が掲示されていました。撮影されたのは1835年8月。イタリアのヴィラ・メルツィでカメラ・ルシダを使ってスケッチした時から、ちょうど2年後です。
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世界で最も古くから、そしておそらく最もたくさん写真に撮られている窓です。
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19世紀イギリスの博物学趣味
1835年には写真の基礎的な実験に成功していたヘンリー・フォックス・タルボットですが、その後しばらく研究を放置します。なぜなら、彼は研究したいことがたくさんあって忙しかったから!
アマチュア研究者である彼は、光学や数学の論文も書き、また博物学的なコレクターでもありました。
この19世紀イギリス人の博物学趣味が大英博物館の充実に貢献しました。また、この博物学趣味と科学技術、産業技術があいまって1851年のロンドン万国博覧会を準備したのだと思います。(超ざっくり理解)
大英博物館。見に行った人は同意していただけると思いますが、寄せ集め感がすごいです。キッチュでごちゃごちゃ。博物学が決して純粋な学術的関心から始まったわけではないことが見て取れます。
フォックス・タルボット・ミュージアムと邸内に展示されていたコレクションを少し紹介します。とりとめなく節操ない感じが、大英博物館にそっくりです!
古代ギリシャの壺!
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ヒエログラフが刻まれたエジプトの壁画!持ってきていいのか!?
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センザンコウの剥製と石!
化石?貝殻?サンゴ?鉱石?とにかくごちゃごちゃ。
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貝殻のコレクションはちょっと標本っぽいけど、なんで集めたのか?
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虎の皮の敷物!各方面に謝ろう!
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陶器のコレクション。これはわかりやすくて安心。ほっとしますね。
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と、思いきや、お?お?
どこかで見覚えのある食器が!!
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こ、これは!
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ヘンリー・フォックス・タルボットが出版した世界初の写真集『自然の鉛筆』に登場している食器ではないですか!!
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ヘンリー・フォックス・タルボットが光学の研究に使用した機材。
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そして、史上初の写真撮影用カメラ!その名も「ネズミ取りカメラ」。
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居住スペースはこんな感じ。
19世紀イギリスの中規模地主の暮らし。
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写真史とは何なのだろう
ヴィクトリア朝の時代を生きたイギリス人とはどんな人々だったのか、写真はどんな人々によって、なぜ発明されたのかについて垣間見れたタルボット邸訪問でした。
いちばん印象に残ったことは、自分は何も知らなかったということです。私もタルボット邸に来るまで、写真は「タルボットが写生器具に満足できなかったから」発明したのだと考えていました。つまり不便を便利にかえる発明のひとつだった。しかし、このような皮相的な理解では何も理解したことになりません。タルボットは、たとえばエジソンのように、発明のために発明したわけではない。彼には、それを無視して生きることはできない、彼自身の理由があったのです。
この記事で展開した推測が正しいとは考えていませんし、これで写真の起源を理解できたとも思っていません。しかし、自分がわからないことを見過ごさない注意力を持つことは、理解することの最初の一歩ではないかと思います。
この意味において、私たちは、東京都写真美術館に代表される図式的な写真史観に対して批判的な立場にあります。あらかじめ用意された図式にあてはめたり、影響関係を示すだけの「歴史理解」は、現在の水準では歴史研究に値しません。それは自分の都合に合わせて、歴史をどのようにでも再構成できるからです。
なぜ写真史だけは、今なおこのようなレベルの見識が許されているのか。これもまたひとつの日本写真史の史実なのかもしれません。
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タルボット邸のあるレイコックはロンドンから3時間もあれば着きます。日帰りもできますが、本当に美しい土地なので一泊するのが絶対におすすめです。
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