現代的なレンズにはない「写り」を求めて、最近人気のオールドレンズ。ペッツバール、プラナー、テッサー、ガウス…。しかしオールドレンズは最初からオールドだったわけではなく、かつては最新の高性能レンズとして誕生してきたはず。

そもそも写真用のレンズとは何なのか?虫めがねやルーペと何が違うのか?これまで誰がどんな工夫をしてきたのか?そんな写真レンズの歴史を概観してみたいと思います。

『写真レンズの歴史』ルドルフ・キングスレイク

東京オルタナ写真部の読書会では『写真レンズの歴史 』(A History of the Photographic Lens 1989)を読みました。レンズ開発の歴史をコンパクトにまとめた本なので、「写真レンズとはなにか」をざっくりと把握することができます。教科書というよりも、おじいちゃんの昔語りを聞いているような感じの本です。

でもこのおじいちゃんすごい人で、ロチェスター大学の光学研究所の設立者にして、コダックの光学設計責任者だった人です。ルドルフ・キングスレイク。1903年生まれ。この本の出版時は86歳!

この本を元に、写真レンズはどこからどこへ何を目指してきたのかをおおまかにまとめてみたいと思います。

ルドルフ・キングスレイク 奥にあるのは機械式計算機
ロチェスター大学光学研究所
ブログ記事「写真レンズの歴史」シリーズhttps://tokyoaltphoto.com/history-of-the-photographic-lens/写真とアートをめぐる東京オルタナ写真部読書会。ここまで、写真・美術批評や表現の自由に関する本を読んで来ましたが、今回は初めて技術系の本を読んでみたいと思います。『写真レンズの歴史』ルドルフ・キングスレーク! オールドレンズ。クラシックレンズ。そもそも写真レンズとは?現代的なレンズにはない「写り」を求めて、古いレンズが人気です。ペッツバール、プラナー、テッサー、ガウス…。しかし、そもそも写真用のレン...

写真レンズを設計するということ

写真レンズの働きは「像を写すこと」です。虫めがねでおなじみの凸レンズは光を一点に集めることができます。じゃあ凸レンズでいいじゃん。たしかにその通り!撮影用レンズはどんなに複雑な構造でも、全体で1枚の凸レンズとして考えることができます。そして実際にふつうの凸レンズ1枚でも映像は写ります。

凸レンズ1枚で撮影した写真。中央部以外は不鮮明。
『写真レンズの歴史』より

凸レンズ1枚で写す場合の問題は、かなりボケた画しかできないことです。とくに真ん中以外の周辺部はぼけぼけになります。

写真にレンズを使う理由は、明るくきれいな像がほしいからです。光は直進する性質があるので、不鮮明で暗い映像でもよければレンズは必要ありません。小さい穴(ピンホール)でも映像は写ります。

光は直進するので小さい穴を通せば像を結ぶ
Images from Johann Zahn’s Oculus Artificialis (1685)
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まず凸レンズの問題点をざっくりあげてみると…。

  • ピントが合う面が平面にならない
  • 形がゆがむ
  • 色によってピントの位置が変わる(色がずれてにじむ)

ボケる、歪む、色がにじむ。単純なレンズでは、きれいな映像はできない。しかも、問題をひとつ解決すると別の問題が発生する。ああ…それは無理な感じですね…

レンズ設計 7つの試練

目の前の風景を平面にきれいな映像で写すのはとても難しい。いったい何が問題なのか。問題解決にはまず問題を理解するところから。1850年代に、ルートヴィヒ・ザイデルという人がレンズの問題点を整理しました。この問題点、現代では7つのレンズ収差として知られています。つまりそれは、レンズ開発者が光学の神から与えられた7つの試練。ざっくり紹介!

1.球面収差

凸レンズ、それは光を一点に集めるもの。

…のはずなのですが、実はそれができない!レンズの中央を通った光と周辺部を通った光では集まる位置がずれてしまう。それはレンズが球面だから。技術的に作りやすいのでレンズは球面で作られますが、光を一点に集めることができないという宿命が。

上は理想。下が現実。実際は下図のように光を一点に集めることはできない。

光を一点に集められないので、ボケた画になってしまいます。

球面収差が残ったレンズの例
フェルメールの絵のふんわりした表現はレンズの収差を取り入れている

2018年にメキシコの大学院生ラファエル・ゴンザレスが完全に球面収差を解消したレンズの設計方法を発見しました!レンズ史2,000年の難問が解決!と大きな話題になりました。計算上ではこんな形になります。変態すぎる!どうやって作るのか!

2.コマ収差

凸レンズ、それは光を一点に集めるもの。

…だがしかし、レンズに対して斜めに入ってきた光は一点に集まらない!って、球面収差と同じこと言ってますが、球面収差がふんわりボケなのに対して、コマ収差は周辺に向かってぴゅっと流れるように形がにじみます。彗星のしっぽのような形なのでcomatic aberrationという名前に。

右図のような光源を撮影すると左図のように形が流れてしまう
株式会社ニコンビジョンのサイトより

3.非点収差

凸レンズ、それは光を一点に集めるもの。

はい。ガラスをまっすぐにざくざく切ることができるハサミがあったとしてですよ、折り紙を切るように凸レンズをランダムに切ってみます。レンズの切り口の形は同じに…なりません!ハサミがレンズの中心を通ったときは切り口はいつも同じ形ですが、中心からずれるほど切り口の形は変化します。切り口(断面)が異なるレンズ…ってそれはもう違うレンズです。違うレンズなのだから焦点の位置がずれるのも当たり前!

つまり、同じ1枚の凸レンズでも一部分だけみると、違うレンズの性質を持っている。だから光が通る場所によってピントがずれる。実際に映像にどんな影響が出るかというと、縦と横でピントが合う位置が変わります!同心円状にぐるぐると形がゆがむ「ぐるぐるボケ」がこの収差です。

縦(青色)と横(赤色)でピントが合う位置がずれる
非点収差が残っているレンズの例
同心円状に形がボケるので、背景がぐるんぐるんしているように見える。
https://en.wikipedia.org/wiki/Petzval_lens

非点収差は「astigmat(アスティグマート)」と言い、乱視の意味もあります。これに「無い」の意味の接頭辞anがつくと「anastigmat(アナスティグマート)」。つまり「非点収差がないレンズ」。アナスティグマートはレンズの名前によく出てきますね。

4.像面湾曲

凸レンズ、それは光を一点に集めるもの。

そうね、そうなんだけどね、映像は点じゃなくて面なんですよ。コマ収差や非点収差を解決して光を一点に集められたとしてもですよ、ピント面が平面になるとは誰も言ってない!ピント面が球面に湾曲している収差。それが像面湾曲。点でピントが合っても面で合わない。画像の中央でピントを合わせても周辺のピントが合わない。

理想は平らな面に像が合うことだが、実際にはピントが合う面が湾曲する。

そもそも平らな面にピントを合わせようとするのが無理なんじゃ!フィルムが平らなのが間違ってる!という発想で、フィルムの方を像面に合わせてカーブさせるカメラもありました。ときにはレンズ設計も腕力が物を言う。

Sutton Panoramic Camera, London, circa 1861
MUSEUMS VICTORIA COLLECTIONS

現在でも使い捨てカメラはフィルム面を曲げて補正しています。

富士フィルム フィルム付きカメラ 特許図面
フィルム面が像面湾曲に合わせてカーブしている。
(特開平08-201878)

5.歪曲収差

広角レンズで撮るとぎゅわんと形がゆがむ、あれです。像がゆがむのは画面の中央と周辺で倍率が変わるためです。この収差は映像の鮮明さには関係しませんが形が不正確になります。形がぶわん!とふくらむ「たる型」と、べこん!とへこむ「糸巻き型」の2種類あります。

@anriremi

馬力の巨人。第2話「水上の馬力」

♬ 紅蓮の弓矢 (from ''進撃の巨人'') - mu-ray
全方位カメラによる「たる型」歪曲の例

6&7.色収差(軸・倍率)

凸レンズ、それは光を曲げて一つの点に集めるもの。

そうだね、ただし光にもいろいろあるけどな!光はガラスに入ると曲がりますが、色によって曲がり具合がちがいます!赤、緑、青、ピントが合う位置がみんなばらばら!

これが映像になるとどうなるかというと、ダメなプリンターみたいに色がずれます。この色ズレ収差には、レンズの軸方向と斜め方向の2種類があります。

下の画像は色収差によって色と形がにじんだようにずれている

レンズ設計、それは無理ゲー。

レンズ設計者に立ちはだかる7つの試練。そのひとつを完全に解決することも困難なのに、7つの収差それぞれがお互いに影響しあうためもはや不可能パズル。しかも、設計者が要求されるのは収差の解決だけではなく、より使いやすいレンズです。つまり、明るくて、いろいろな画角が揃っていること。

  • 明るいレンズ
    → レンズの口径が大きい
    → レンズの周辺部からの光はきれいに結像しない
  • いろいろな画角
    → 望遠レンズは暗くなる
    →広角レンズは斜めから入る光はきれいに結像しない

明るいレンズ、画角が広いレンズ。いずれも大敵であるレンズ周辺部の光がたくさん必要になります。当然、そんなレンズは画がボケる!すみずみまできれいに写るレンズなんて無理!

レンズを使う側は「きれいに写る使いやすいレンズ作ってよ」と言うだけですが、レンズ設計者にとっては、まさに「おまえやってみろよ!(怒)」案件です。

若い技術者は、このような問題をすべて示されると、きわめて困難な仕事だとただちにいいわけするであろう。事実、写真が発明された頃のレンズ技術者の大部分は、広くて平らな像面を作るレンズをどのようにして作るか案を持っていなかった。

『写真レンズの歴史』 ルドルフ・キングスレーク

現在の私たちにとっては、カメラでもスマートフォンでも写真がきれいに写るのは当たり前のことになっていますが、最初はとてもそれどころではない場所からの出発だったわけです。そこからこつこつと一つずつ問題を解決してきたのですが、レンズ開発史180年のざっくりまとめは、また次回!


ブログ「写真レンズの歴史」シリーズ

読書会の内容をもとに、写真レンズの歴史と基本の型をいっきに整理。これで(ひとまず)レンズがわかります。ブログ記事「写真レンズの歴史」シリーズhttps://tokyoaltphoto.com/2022/10/history-of-the-photographic-lens-1/https://tokyoaltphoto.com/2022/11/history-of-the-photographic-lens-2/https://tokyoaltphoto.com/2022/12/history-of-the-photographic-lens-3/

参考サイト

株式会社ニコンビジョン「収差」


レンズは、最も高価で最も分かりにくいカメラ部品の一つ。ダゲールが1839年に写真術を発明して以来、今日までの各種レンズの発展の跡をたどる。過去の著名なレンズ設計者や製作者の簡単な伝記も添える。
The lens is generally the most expensive and least understood part of any camera. In this book, Rudolf Kingslake traces the historical development of the various types of lenses from Daguerre's invention of photography in 1839 through lenses commonly used today.
レンズの種類・基本性質・収差からレンズ製品まで、豊富な図解でやさしく解説する入門書
写真レンズを有効に使うため,どの写真レンズにも適用される一般的性質,製造工程,知らなければならないレンズの収差,構造や形式を系統的に解説した
1973年に発表されたピンク・フロイドの8作目のスタジオ・アルバム。このアルバムは売り上げ5000万枚以上を記録し、世界で最も売れたアルバムの一つとなった。