「白黒フィルムの色彩の魔術」シリーズ、4回目は、フィルムが写す「黒い顔」について。
ゴシックホラー映画『ライトハウス』
昨年公開された映画のおすすめリストがあちこちで公開されていますが、写真と映画と文学に関心があるなら、この映画は外せません。映画『ライトハウス』!(製作年は2019年)
19世紀ゴシック・リヴァイヴァルの雰囲気を現代映画に色濃くこってりとよみがえらせた傑作映画です。なんといってもこの映画、絵面がすごい。黒。とにかく黒い。こんな黒いものを映画館のスクリーンで見たことがない。練り上げた版画用の油性インクのような黒さです。
そしてこの真っ黒い映像が描く物語とは、「謎めいた孤島にやって来た“2人の灯台守”が外界から遮断され、徐々に狂気と幻想に侵されていく」という、メアリー・シェリー、ブロンテ、ポー、メルヴィルを継承する正統派ゴシック・ロマンスです。
ちなみにこれはメアリー・シェリー『フランケンシュタイン』1831年改訂版の挿絵。映画『ライトハウス』の原作の挿絵と言っても信じるレベルの完全に同じテイスト!
ゴシック・ロマンスと写真史との関係は以前記事に書きました。ゴシック・ロマンスは写真の誕生にも関係しています。
映画『ライトハウス』は20世紀の映画史にも深くリスペクトしています。この映画は1930年以前の映画のトーンの再現を目指したことは前回記事に書きました。オルソフィルムの再現です。
実際に映画でオルソフィルムを再現することは、そのためだけに巨額の予算が必要になるため断念し、擬似的なオルソ撮影をすることになりましたが、この疑似オルソ撮影で有名なのが1931年の映画『ジキル博士とハイド氏』。映画『ライトハウス』に登場する二人の灯台守たちは、映画史の中の「ハイド氏の息子たち」と言えます。
それにしても、このふたりの灯台守の顔。あの血管やシワの浮き出た不気味な顔。そしてこの真っ黒な顔。こんな絵面を撮ってみたい。
いや、それが撮れるんです。しかも映画『ライトハウス』が目指そうとした本物のオルソフィルムを写真なら使うことができます。
映画『ライトハウス』が撮りたかった「黒い顔」
現在、映画フィルムではパンクロマチックしか生産されていませんが、写真用フィルムではオルソクロマチック・フィルムは現役です。映画『ライトハウス』でも使用されたペッツバールタイプのレンズを使ってポートレートを撮影してみます。もちろんフィルムはオルソクロマチック。どんなふうに写るのか、狂気の灯台守やハイド氏は写せるのか、オルソフィルムでポートレート撮ってみた!
黒い。顔が黒い。いろんな意味で黒い。
右側は私です。
自分の容姿に幻想は持っていないつもりですが、さすがに言いたい。ここまで醜くはないと思う。 いやしかし写っているのが自分じゃなければ、この写真はかっこいい。火山に吹き飛ばされた石のような皮膚。ヨークシャー地方の墓石のような不気味さ。うーむ、エグくてかっこいい。
こちらもオルソフィルムで撮影したポートレート。
映画『ライトハウス』でも使われたペッツバールタイプのレンズを使用。画面の縦横比も『ライトハウス』に近くなっています。黒くてかっこいい。
映画史の「黒い顔」
オルソフィルムで撮影したポートレート写真の黒い顔。これが1930年以前の映画や写真の基本トーンでした。というのも、それまでのフィルムはすべてオルソフィルムだったからです。
映画批評ブログの運営者Murderous Inkさんが執筆した記事に、映画とオルソフィルムについて書かれたものがあります。
kinomachina/フィルムに写った空は曇っていた
「写真はイメージです」
イメージ=想像的なもの・映像
「イメージ」という言葉には想像と映像の両方の意味があります。そのため「写真はイメージです」という奇妙な注意書きが商品パッケージに記載されることになります。
上記のMurderous Inkさんの記事は、想像された意味(例えばブロンドの髪)と撮影された映像は自然に合致するのではない。映画はこの「イメージ」のズレをどう扱ってきたのか、という切り口の小エッセイです。非常に面白いのでぜひ読んでみて下さい。
以下はこの記事からの引用ですが、ロバート・フラハティが1920年代に南太平洋のサモアで映画が撮影された際の関係者のコメントです。
「初期の段階でオルトクロマティック・フィルムを試したが、現地の人の肌がニグロのように真っ黒になってしまい不快であった。」
https://kinomachina.blogspot.com/2014/09/blog-post.html
「肌が黒くなる」というよりも、オルソフィルムで人物を撮影すると陰湿な暗さを帯びた顔になってしまうのは、私たちが撮影したポートレートを見てわかる通りです。南国の島の明るく開放的な暮らしに突然現れるゴシックホラー!たしかにそれは困る。
そこで、オルソフィルムを使うのはやめて、当時、開発されて間もないパンクロマチック・フィルムで撮影したそうです。
無声映画時代のメーキャップ法
映画に写ると顔が黒くなる。これは当時の映画俳優にとって悩ましい問題でした。そこで映画用のメーキャップ法が生まれます。基本的にはまず顔を真っ白に塗ってから、必要な部分を黄色などで暗くしていく。メーキャップにはいろいろなセオリーがあり、フィルムに白く写る青や緑で下地を塗ることも提唱されたようです。無声映画時代の俳優が独特の真っ白な顔になっているのはオルソフィルムで撮影されたことが理由だったのです。
歴史的写真と「イメージ」
オルソフィルムの問題は他にもあります。 私たちが想像するイメージは、実際の映像によって刷り込まれたものが多くあります。
たとえば、リンカーンの顔。リンカーンと言えばだれもが知るその顔はこれです。
この写真が撮影されたのは1863年。リンカーン54歳のときのポートレートです。
50代にしてはちょっと老けすぎじゃない?そう、そうなんです。この写真、老けすぎなんです。
これもオルソフィルムと同様に、まだ赤色が映らない時代の写真です。その結果、私たちが撮影したポートレートと同じく、肌のシミやシワが強調されているんです。 私たちはこの顔でリンカーンのイメージが固定されていますが、本人は勘弁してくれと思ったはずです。 この写真から墓石っぽさを差し引いた顔が、リンカーンの本当の顔です。
Time-Travel Rephotographyというプロジェクトが、歴史上の人物の写真から本当の顔の復元を行っています。
「ポートレート写真にはその人の心が写る」という人が時々いますが、オルソフィルムで写真撮られた後でも同じこと言えんの?と、ちょっと聞いてみたい気がします。 私たちは無自覚に、映像の印象で想像を固定し、また逆に、固定された想像に映像を近づけようとします。これが「イメージ」の基本的な性質だと言えます。