映像で心の二面性を表現する

『宝島』のスティーブンソンの代表作『ジキル博士とハイド氏』は、これまで舞台化、映画化された回数が120回を超えます。出版の翌年、1887年には舞台で上演され、最初の映画化は1908年。サイレント映画時代だけでも10本以上の作品があります。

最初の舞台作品で主役を演じたリチャード・マンスフィールド。ジキルとハイドを2重露光で撮影した写真。

人間の心に潜む二面性。善と悪、外面と欲望…。ジキルとハイドの変身をどう表現するかが、舞台や映画では大事な見せ場になります。最初の舞台化では、俳優のリチャード・マンスフィールドの演技が大評判になりました。映画作品でも初期のものの変身シーンは俳優の演技力だけで表現されていました。1920年のサイレント映画版で主演したジョン・バリモアの、表情で見せる変身演技はいまなお見事です。

Dr. Jekyll and Mr. Hyde 1920

 

1931年の『ジキルとハイド』

さて1931年、写真家で映画撮影監督のカール・ストラスは、初のトーキー映画版『ジキル博士とハイド氏』の撮影にあたり、ハイド氏の外見をどうするかについて考えていました。ジキル博士の心の中の悪が解放された姿がハイド氏。それなら、その姿は肉体の内側から表に出てこなければならない。だけど、どうやってその変化を映画で表現するのか?

後年、カール・ストラスは、猿のような見た目に作られたハイド氏を恥ずかしく思うとはっきり言っています。ハイド氏の姿は趣味の悪い「特殊メイク」で外見を変えるのではなく、最小限のメーキャップで精神的な変化として見せるべきだ。って、例のCG嫌いで有名な映画監督みたいなことを言ってますね。

お、おう、これは後に制作された別の映画のハイド氏ですが、こんなゴテゴテしたメーキャップの俳優の顔をオーバーラップさせて「変身」したことにするのはかっこ悪すぎ。ハイド氏というキャラクターの文学的な意味も損ねているし、そもそも全く芸術的ではない。↓

Abbott and Costello Meet Dr. Jekyll and Mr. Hyde (1953)

こんなもん撮れるか!芸術家カール・ストラスに、さすがにこれは受け入れられない!
ではどうする?こうか!

『猿の惑星:創世記』(2011年) 20世紀フォックス

いやいやいやいや!1931年!90年前!モーションキャプチャCGIまだないから。
撮影はフィルム。使えるのは白黒フィルムとカメラだけ!

ではカール・ストラス撮影の1931年のジキル博士の変身シーン、どうぞ!

Dr Jekyll and Mr. Hyde (1931) - YouTube

Changing Into Hyde | Dr. Jekyll and Mr. Hyde | Warner Archive

このスペクタクル!どうですか!映像編集なし!
演技と撮影効果だけでジキル博士の心の内の悪の出現が見事に表現されています。いったいどうやって撮影したのか!

 

秘密だったカール・ストラス・テクニック

撮影監督のカール・ストラスはこの映画の撮影で第5回アカデミー賞にノミネートされます。(受賞は確実視されていたのですが、受賞ならず。残念!)

この映画の監督ルーベン・マムーリアンはこの変身シーンの撮影方法を長く秘密にしていたようですが、撮影のカール・ストラスは同僚たちには比較的、気軽に説明していたようです。

それによると、この撮影トリックは色フィルターを利用しています(技法の詳細は前回記事でも解説しています)。

  1. 俳優はあらかじめ赤色の化粧でハイド氏の顔をメイクしておきます。
  2. 赤フィルターを通して撮影すると、赤色のメーキャップは白黒フィルムには白く表現されるので見えません(ジキル博士のまま)。
  3. しかし反対色の緑フィルターにすると、赤色は黒く表現されるため、黒くはっきりと見ることができます(ハイド氏出現!)。

この変身シーンの撮影では、カメラのレンズにつけたフィルターを赤色から緑色に少しずつ入れ替えていくことで、ジキル博士の顔にハイド氏を浮かび上がらせているわけです。

前回記事では1953年の日本映画『怪談佐賀屋敷』の変身シーンを紹介しましたが、『ジキル博士とハイド氏』が撮影されたのは、その20年以上も前のことです。そして、この撮影テクニックを考案した撮影監督カール・ストラスは、さらにその前のサイレント映画時代にすでにこの技法を試みていました。

Ben Hur (1925)

サイレント映画時代のブロックバスター、『ベン・ハー(1925年)』!サイレント映画史上最高額の制作費!

この映画でカール・ストラスが撮影したのが、キリストが奇跡で病気を癒やすシーンです。キリストが手をかざすと、主人公の母と妹のハンセン病がみるみる治っていきます!この撮影では、皮膚病のメーキャップを赤色で施しておき、撮影時にフィルターを緑(病人状態)から赤(治癒する)へと入れ替えています。

このテクニックを使って撮影された映画のシーンにはこんなのもあります。

Sh! The Octopus' transformation complet - Karl Struss technique

Sh! The Octopus』1937年!

いやちょっとまってなにこれこわい!俳優の目の色まで変わる!すごい!カリブ海の灰色パジャマおじさん…タコ人間よりすごいかも。

パイレーツ・オブ・カリビアン
Walt Disney Studios Motion Pictures

一部にカルト的人気の映画なのも納得。CGや合成なしですよ、もういっかい言っとくけど、色だけです。色のトリック。カールストラス・テクニック!白黒フィルムの色彩の魔術!

 

デジタル撮影での再現テスト

映画を愛するYouTubeチャンネル、RocketJump Film Schoolが、このカール・ストラステクニックを現在のデジタル撮影で再現しています。

In-Camera Transformation Effect

この再現テスト撮影では、レンズフィルターの代わりに照明の色を変化させています。

メーキャップ:赤色メーキャップ:青色
照明:赤色見えない見える
照明:青色見える見えない

女性のメーキャップを赤色、男性のメーキャップを青色にしているので、照明の色を変化させるとふたりが交互にゾンビ化します。

白黒映画の色を利用した撮影テクニック。これを最初に思いついたカール・ストラスは実にすごい才能です。いったい何をもとにこんなアイデアを生み出したのか…と思ってしまいますが、実は彼は何も発明していないとも言えます。ある意味、彼はすでによく見慣れた映像を再現しただけ…だったのです。

続きはまた次回!


「白黒フィルムの色彩の魔術」シリーズ

1950年代の化け猫映画先日、Twitterでこんな投稿を見かけました。https://twitter.com/kentaro666/status/1350258931763822601カットを割らず、つまり1ショットでメイクまで変化する撮影?なになに、と映像を見てみましたが、おお確かにこれはすごい。みるみる顔が変化していきます。これは映画『怪談佐賀屋敷』(1953年)の1シーンです。化け猫を演じる俳優、入江たか子も素晴らしいですね。入江たか子は無声映画時代から活躍する女優で、溝口健二監督の『瀧の白糸』では主演とプロデュースを手がけています。そして黒澤明監督『椿三十...
「白黒フィルムの色彩の魔術」シリーズ、3回目は、90年の時を超えてスクリーンによみがえったハイド氏の息子たちです! 色彩のトリックと1931年のハイド氏薬品を飲むと、ジキル博士の心の中の悪が解放されハイド氏に変身する。スティーブンソンの代表作『ジキル博士とハイド氏』ですが、映画化作品ではこの変身をどう表現するかが重要な見せ場になります。1931年の映画化作品では、撮影監督のカール・ストラスが色を使った見事なトリックでカット編集なしの変身を撮影しました。YouTubeより https://youtu.be/GynMi0E7B5g前回の記事で...
「白黒フィルムの色彩の魔術」シリーズ、4回目は、フィルムが写す「黒い顔」について。ゴシックホラー映画『ライトハウス』昨年公開された映画のおすすめリストがあちこちで公開されていますが、写真と映画と文学に関心があるなら、この映画は外せません。映画『ライトハウス』!(製作年は2019年)映画『ライトハウス』19世紀ゴシック・リヴァイヴァルの雰囲気を現代映画に色濃くこってりとよみがえらせた傑作映画です。なんといってもこの映画、絵面がすごい。黒。とにかく黒い。こんな黒いものを映画館のスクリーンで見たことがな...

参照サイト:American Cinematographer


街中で少女を踏みつけ、平然としている凶悪な男ハイド。彼は高潔な紳士として名高いジーキル博士の家に出入りするようになった。二人にどんな関係が?弁護士アタスンは好奇心から調査を開始するが、そんな折、ついにハイドによる殺人事件が引き起こされる。