よくわからん「自由」/J.S.ミル『自由論』読書会

先週の土曜日から始まったJ.S.ミル『自由論』の読書会。『自由論』というからには自由についての本です。自由…自由ね。知っているつもりだけど、よくわからん。

「表現の自由」や「自由に表現する」などとよく言いますが、しかしその時、自由という言葉が示している意味は何なのか。わかっているようで、いまいちはっきりしない。はっきりしないから、自由についてはだれもが好き勝手に言うからますますよくわからない。「自由」という言葉にはそんな印象があります。

そこで、自由とはそもそもどんなアイデアだったのか読んでみよう!というのが今回の読書会です。

 

ある肖像写真

しかし先日の読書会初回で、本を読むよりも先に話題になったのはこの写真。

 

かっこいい。めちゃいい写真です。

まず圧倒させられるのが目。力強い視線!

きりっと遠くへ投げられた二人の視線は、写真を見る私たちの頭上を左右に超えて、その先にあるものに真っ直ぐと向けられています。二人が見つめる方向は違っているのですが構図がバラバラに崩壊することはなく、むしろ逆にふたりが同じものを見ているような統一的な印象を受けます。

で、その二人。

椅子に座る老人。
そして彼の肩に手を置く若い女性。
この女性の凛とした立ち姿は、堂々としてゴージャスです。

とても力強く美しいイメージですが、いったいこの写真はなんなのか…

いや、なんなのかって、自分で言っておきながらなんですがもちろんこれはJ.S.ミルの写真です。左のおじいちゃんがミル。読書会の告知ページのためにWikipediaでダウンロードした写真です。

って、いやそういうことではなく、このまっすぐに圧倒されるような美しさはいったいなんなのかと、この写真を見ながらつい思いふけってしまいました。

そしてやはり読書会の初回でも、この写真の特別な魅力が話題になりました。なんせ写真家の集まりですから。なぜこの写真はこんなにいいのか。本より先にまずそこからだ。私たちは写真家ですから分析しますわよ。

 

なぜこの写真はこんなにかっこいいのか。

ライティングと露出がパーフェクト!

女性の明るい肌から暗色のドレスのレースの模様まで見事に質感が表現されている。この時期の写真は感光材料の関係で肌が暗く写りがちなのですが、ハイライトからシャドウ部まで完璧なトーンで撮影されています。

 

構図がイケてる!

レンズの位置を二人の目線よりもぐっと下にして、視線を高くした。それによって人物たちの意志の高さを感じる構図に。さらに立っている女性に対しては少し見上げるような位置になるため、堂々とした姿をとらえることができている。

そして、女性を構図の中央に寄せることで、女性の頭部を頂点に下部に向かって広がる三角形の構図が完成している。シンプル、安定感、説得力、力強く美しい。

 

三角形の安定感のある構図

 

19世紀写真の男女の定番ポーズ

ですがしかし、少し不思議な気もします。この写真が撮影されたのはミルが生きている時代ですから明らかに19世紀。この写真は二人の人物のポートレートですが、立ち姿の女性の方がモチーフの中心になっています。椅子に座る男性の肩に手を添えているところは、見ようによっては「若い女性が老いた男性に保護を与えている」ようにすら見えます。

19世紀ですよ。こんなことあるんでしょうか?
そこで、読書会では19世紀のカップルのポートレートを探して比較することになりました(読書はどうした)。

 

 

一般的な19世紀のカップルのポートレートを見ていくと、男性が椅子に腰掛け(手には本)、女性が寄り添うように立ち、男性の肩に手を置く、というお決まりのポーズがあったようです。

このポーズの意図は、上に挙げた写真を見ればすぐにわかることですが、男性が椅子に座るのは威厳や安定感を表現するため。女性が男性に手を添えるのは親密感と…男性への従属関係を示すためです。

これはおまけ。1860年、サンフランシスコの写真館での福沢諭吉。

ここでもパターン踏襲!もっとも写真屋の十代の娘(テオドーラ・アリス・ショウ)と福沢諭吉の間に個人的なつながりはないので肩に手に置くのはなし。それにどっちかというと、写真屋が見てるのは福沢よりも自分の娘さんのほうですね。これはある意味当然。

女性が椅子に座り男性が立つ逆のバリエーションもあるのですが、先にみた男性が座っているパターンのほうがより定番という印象です。

いずれにせよどちらのポーズの場合にも共通しているのは、「威厳ある男性と、寄り添い従属する女性」というイメージを作ろうとする努力です。

 

異質な肖像

これらの19世紀のカップル肖像写真の後に改めてミルの写真を見るとその異質さが際立ちます。ふたりのポーズは当時のお約束を踏襲しているが、それが表現しているものは全く異なります。ミルの写真はいま見ても少し不思議な印象ですが、当時の他の写真と並べると異様な迫力があることがわかります。

自信に満ちて堂々と立つ若い女性が、構図の中に控え目に置かれた年長の男性に保護を与えるかのように描かれる、などということは、この当時にはほとんどなかったはずです。従属関係を表す肩に手を添えるお決まりのポーズは、ここでは意味が反転して保護や祝福を与える手に変換されています。この写真、当時においては信じられないほど斬新でレアなイメージだったのではないでしょうか。

 

 

しかし、もしこの写真家がいつもこのように写真を撮っていたら、人々に理解されず仕事にあぶれることになっていたでしょう。ではなぜ写真家は今回に限ってこのように撮ったのか?

 

ミル、ハリエット、ヘレン

この写真に写っているふたりは、J.S.ミル本人と義理の娘のヘレンです。って、なぜこのふたりが写真を撮っているのか。義理の娘?ヘレン?だれ?なんでこのふたり?

簡単に言うと、ヘレンはJ.S.ミルの妻のハリエット・テイラーの娘です。しかしミルと妻ハリエットの関係を知るとそんな簡単な話では済まないことがわかります。

ミルの生涯を詳細に記した自伝もあるのですが、ここは手早くWikipediaをチェックすると…ミルの幼少期からハリエットとの出会いまではこんな感じ。

幼年時代のミル
  • 子供の頃から英才教育
  • 厳格な父親に教育され学校には行っていない。
  • 小さい頃から年中勉強。
  • 3歳から母語の英語と同時にギリシャ語を勉強。8歳までに、ギリシャ古典を原語で読めるようになった。
  • 8歳でラテン語、幾何学、代数学を学び始め、弟たちの教師役に。大学で教えられるラテン語とギリシャ語の作家はすべて読破。
  • 10歳のころはプラトンやアリストテレスを原語で読み、
  • 12歳ごろは政治経済学を始め、アダム・スミスやデヴィッド・リカードを父親と共に研究した。
  • 父の友人だった哲学者、経済学者のジェレミ・ベンサムと交流し、助言をもらっていた。
青年期の危機とハリエットとの出会い
  • 20歳ごろ「自分の人生の目標は社会正義の実現だ。しかしそのことは自分を幸せにしているだろうか?」と悩み、うつ状態に。
  • 24歳、運命の人ハリエット・テイラーに出会う!彼女との交友関係によってミルは精神的な危機を乗り越える。

と、ここまでならふつうにいい話。

しかし、ハリエットは人妻だった!

Harriet Taylor Mill, unknown painter, National Portrait Gallery, London

時代は偽善的なまでに厳格な道徳が推奨されたヴィクトリア朝時代人妻との親密な関係は社会的立場を危うくする危険なスキャンダルです。そして実際に、ミルとハリエットの関係はかなりの問題になったようです。

ハリエットは夫のテイラーとの間に2男1女の子供がいたが、1833年に2歳の娘ヘレンを連れて夫と別居。週末にミルがハリエットを訪問するライフスタイルに。ハリエットの夫のテイラーは1849年に亡くなり、その2年後にミルとハリエットは正式に結婚します。が、しかしわずか7年後にハリエットは急死してしまいます。

そのハリエットとの悲痛な死別の翌年に出版された本が、今回の読書会で読み始めた『自由論』です。

『自由論』を開くと、最初に序文があります。

 

 いまは亡き女性の、いとおしく懐かしい思い出のために本書を捧げる。

 私が書いてきた多数の論文の、最良の部分はすべて彼女のおかげであり、彼女はそれらの論文の共著者だともいえる。(中略)

 地下に眠る妻の、偉大な思想と高貴な感情を、せめて半分だけでも世の中に伝える ことができれば、と思えてならない。それができれば、比類のない英知をそなえた彼女の激励も支援もないままに私が書くどんな書物より、はるかに世の中の役に立つはずだからである。

ミル『自由論』 斉藤悦側訳 

 

Wikipediaのミルの生涯からの、この序文!
これ、映画化決定するやつ!!

 

ハリエットは思想家であり女性権利を擁護する社会活動家でした。ミルは出会ったときからハリエットを知的に対等な相手として接しました。ミルは彼の著作のほぼ全てはハリエットとの共著だと述べています。それだけでなく、自分はハリエットの思想を代筆したにすぎないとまで言ったことがあるようです。

ハリエットとミルは、精神と思想における深いパートナーだったことは間違いないと言えます。それは「夫を支えた妻」などでは決してなく、完全に対等で、尊重と尊敬を基盤に築かれた関係だったはずです。

そんなふたりの間で育てられたのがハリエットの娘ヘレン。ハリエットが急死した後、ハリエットを継いでミルの知性のパートナーになったのはヘレンでした。

この写真はその頃のふたりの肖像です。

自信に満ちて立つヘレンがこの写真の中心的モチーフなのは、ある意味では当然のように思えます。なぜならミルとハリエットにとって娘のヘレンは、ふたりの理念が育てた人格だからです。若いミルが深刻に悩んだ「正義が実現される社会」を実際に作り出す新しい人、それがこの写真に現れているヘレンだと言えます。

ミルは1865年に下院議員として選出され、女性参政権を初めとする革新的な政治改革を主張しました。それは当時としてははるかに時代に先駆けたものであり、イギリスで実際に男女平等の普通選挙が実現したのは、第一次大戦後の1928年。そして娘のヘレンもまた女性参政権を提唱するフェミニストとして活動しました。

ミルが提唱した女性参政権の主張を揶揄する風刺画 (1867年 )Wikipedia

 

「男女平等」というアイデア

ところでこの「男女平等(ジェンダー平等)」。これどういうアイデアなんでしょうか。

というのは、私たち日本人は「差別をなくそう」「いじめをなくそう」「男女平等」「多様性を認めよう」などが、「礼儀正しくしよう」といった道徳と連続しているという感覚を持っています。差別撤廃や男女平等は基本的人権に関わる問題です。それって道徳と同列なんでしょうか。ミルはどういうコンセプトで男女平等を提唱したんでしょうか。

哲学早わかり ミル

ジョン・スチュアート・ミルは19世紀イギリスの哲学者。哲学だけでなく論理学や経済学などの領域でも優れた業績を残しました。『自由論』はミルの代表作としてよく知られています。

ミルは『女性の隷従』で、当時の女性が不当な差別のもとにあることを指摘し、男女差別を解決することが近代社会の原理を実質化するために必要であると主張しました。

ミルはあくまで、男女の同権を、功利性の原理を基礎とする自由の観点から論じています。これはいわゆる「べき」論ではなく、近代社会の基本原則を「自由」に置くことから導かれる原理的な帰結です。

引用元 哲学早わかり ミル

 

ミルは各人が社会の中で個人が自由であるためにはどうすればいいかを考えた人です。
では、個人の自由を抑圧するのは誰か?
それは民衆に対立する支配者(王など)ではなく、社会の多数派です。
社会の多数派の支配力が個人の自由を抑圧する。だから多数派の力は抑制されなくてはならない。

これがミルの自由の思想の出発点です。

この話はもちろん、社会のすべての人が、よりよい社会をめがけて参加することが前提です。そのためには、社会の中での個人の自由が最大化しなくてはならない。

…日本でよく言われるのは「社会のために個人の自由は抑制されなくてはいけない」という俗流自由論ですが、ミルが言ってることはまったく逆。日本の場合は自由の意味を取り違えているのでそんな理屈になるのです。

個人の自由というのは「そのほうがいいでしょ?」ではなくて、よい社会のための基本原理だとミルはいうわけです。個人の自由とは、それがなくては人間の社会に正義が成立しないというものなのです。そこから考えると、男女が平等で同じ権利を有しているという状態はあたりまえ。なのです。

 

自由とジェンダー平等の始まりの場所

男女平等は、人間の社会のきほんのき。それがないと社会ではない。なぜなら、個人の自由が社会の原理だからだ。自由がなければ正義はない。ということですね。自由が原理である社会は男女平等を必然とする。

ここでわかることは、社会のなかの個人の自由というのは、とても明確なコンセプトだということです。

しかし私たちが日常的に「自由」という語を使うとき、かなり漠然とした意味で使っています。ですから「好き勝手にする」ことと「社会の中で自由に生きること」の区別がつかなくなりがちです。しかし、ミルのコンセプトでは個人の自由は社会全体の正義のためにあるわけです。ですから「他人の自由を抑圧する自由」なんてものは原理的に矛盾しているので、絶対にありえないことがわかります。

ミルと人妻であるハリエットの関係は、厳格なヴィクトリア朝の道徳からは厳しく糾弾されるものでした。しかし道徳というのは、原理的な根拠がないのに、多数派が個人に同調圧力をかけることを許す社会的慣習だとも言えます。ミルとハリエットはこのような道徳に非常に苦しめられたはずです。彼らにとって道徳は個人の自由を抑圧する悪しき支配のシステムに見えたことでしょう。だからこそ、彼らは自由を社会の原理として考えなくてはならなかったのです。道徳を乗り越えるために。

男女(ジェンダー)平等は道徳ではない。それは社会の原理だ。
これが160年前にミルとハリエットとヘレンの3人が立った場所です。そしてこれが社会の中の個人の自由というコンセプトの始まりの場所です。

で、ここでですよ!

ミルとヘレンの写真を改めて見てみると、どうでしょうか。

 

おお、圧倒的なるほど感!!!

この写真に写っているのは、物質としては2人の人物ですが、精神的にはミル、ヘレン、ハリエットの3人のポートレートだと言えるかもしれません。この写真が持っている傑出した雰囲気、気高さ、力強さ。その理由も深く納得です。

これを撮影した写真家は何か抗えないものを感じて、自分でも思いがけずこのように撮ってしまったのではないか思います。同時代のありがちなポーズをとっているのに、同時代のどの写真からも超越した普遍的な美しさを帯びた作品になっています。

ミルとヘレン。自由を原理として生きる人物を撮影すると、このような芸術的な結果として現れるというのはとても興味深いことです。この写真は、芸術における自由もまた、好き勝手や好き嫌いとはまったく異なる次元のものだと証明しているように思えます。

写真とアートと自由について考える東京オルタナ写真部読書会。毎回、自分の目が新しくなるような刺激的な読書会になっています。

 

私たち日本人がいまいる場所

さて、いまこんなブログ記事を書いたのは、もちろん東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の会長(元首相)の女性蔑視発言がきっかけです。あれな。ミルが聞いたら助走つけて飛び蹴りするレベル。まちがいない。国際人権団体ヒューマン・ライツ・ウォッチからは「金メダル級のセクシズム」と批判を受けました。それでなくとも、ジェンダーギャップ指数が151カ国中121位の日本は世界的にもジェンダー平等が最も遅れた人権後進国です。

男女共同参画局 webサイトより

この人物の発言や信条は、オリンピック憲章の理念に反しているのみならず、そもそも近代世界の政治家として完全に失格です。

しかし大事なのはその先。

この発言を擁護し、批判への反批判として「正しさで厚化粧してポリコレ棒で殴りつける。これでは自由にものを言えなくなる。」と主張する人々がいます。(某新聞コラムとかね)

え、自由ですか?

おま、それ自由って言う?

他者が社会の中で自由に生きることを抑圧する言動は、ただの反社会的行為。それぜんっぜん自由と違うから。

「他人の自由を抑圧する自由」は原理的に矛盾しているのでありえない。(本日2回め)

自由は社会全体の正義のための原理であり、「好き勝手すること」とはぜんっぜん違うから

そもそも、この違いを区別できないと「自由な議論」には参加できないわけです。だって「好き勝手に何とでも言ったものが勝ち」では意味のある議論が行えないからです。だから、こういう人々は自由について語る資格がそもそもない。

さて、世界中からの批判を受けてついに辞任することにしたようですが、後任はどうなることか。

私たちの国の指導層、そして(間接的にであれ)彼らを選挙で選んだ私たちが、ほんとうに近代世界に生きる市民として恥ずかしくない自由と平等の理念を持っているかどうか、注視したいところです。

とりま、『自由論』読みましょう!読書会への参加も歓迎です。そんなこんなで、まだ数ページしか進んでないので、いまから参加でも大丈夫!

写真とアートをめぐる東京オルタナ写真部読書会。ここまでロラン・バルト、ケネス・クラーク、ヴァルター・ベンヤミン、エルヴィン・パノフスキーと読んできました。今回取り上げるのはJ・Sミルの『自由論』です。 「自由」とはなんだろう?自由という語は日常的によく使われますが、適切な意味を知るのがとても難しい言葉だという印象があります。表現の自由、言論の自由などは、基本的人権に分類されるものですが、その扱いをめぐる議論は非常に混乱しています。この問題に単純な正解がないことは予想できます。しかし正解のない問...

 


個人が圧殺される事態を憂慮し、自由に対する干渉を限界づける原理を示した古典的著作。待望の新訳。
市民社会における個人の自由について根源的に考察し、その重要さを説いたイギリス経験論の白眉。現代人必読の今もっともラディカルな書。
Mill's four essays, 'On Liberty', 'Utilitarianism', 'Considerations on Representative Government', and 'The Subjection of Women' examine the most central issues that face liberal democratic regimes - whether in the nineteenth century or the twenty-first.