追記:私たちの指摘により、48ページ11~12行目の誤訳は2018年以降の版では改訂されました。


東京オルタナ写真部ではロラン・バルトの『明るい部屋』の読書会を開催しています。

『明るい部屋』は写真家に非常に人気のある「写真論」ですが、これほど誰もが知っているのに、何が書かれているのかほとんど誰も理解していない本というのも珍しいと思います。

こんなことになっているのは、読者側の問題もいろいろとあるのですが、そもそも日本語の翻訳テキストの問題も小さくないと思われます。過去5回の読書会では英語訳とフランス語オリジナル版を参照しながら読み進めました。その中で誤訳を含む翻訳の問題がいくつか明らかになりました。重要なもののいくつかはすでに出版社の編集部に連絡していますが、改訂版が出るのは先のことになると思われます。そこで、日本語でこの本を読む人のために、ポイントをまとめておきたいと思います。

参照している日本語訳は、『明るい部屋』花輪光訳 みすず書房 1999年 第3刷 です。

明るい部屋―写真についての覚書
明るい部屋―写真についての覚書

 

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ロラン バルト
みすず書房
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バルトのテキストと日本語訳の傾向について

まず、この本の文章について。

ロラン・バルトはこの本でムダなことは一言も書いていません。これは「小難しいおしゃべり」ではなく、理科の教科書のようにすべての言葉を《正しく》理解できるような本です。そのためか、日本語訳は正確さを優先しようとして、複雑で日常的ではない言い回しを用いているところがあります(不意打ち=驚き、など)。これには文句も言いたくなりますが、そのおかげで、じっくり読めば日本語訳だけでも正確に理解していくことはできます。

だがそうは言っても読みにくい!
わかる。それな。

確かにこの日本語訳では、言葉や文章を味わうことはちょっと難しくなっています。そのため気軽な「読み物」として読み始めると、全く入っていけません。とはいえ、翻訳は意味の上ではおおむね正確です。

しかし、より正確に読むためには英語訳かフランス語オリジナルを併読することをおすすめします。

 

日本語訳の全体的な問題点

この日本語訳には見逃せない問題があるのは事実です。全体的な印象を述べると、訳者がバルトの主張を理解できていないことから発生している誤訳があります。そのうちもっとも重要なものは下に記載しましたが、他にも同じ理由により整合性のない翻訳になっている箇所があります。

また、この本はクラシック音楽にインスパイアされています。全体の章構成、論述の展開、文そのものに、バルトの「音楽」を見て取ることができます。しかし日本語訳は、それを完全に無視する形で翻訳しています。

 *

それでは、以下に日本語訳の問題点を挙げていきます。

そもそも『明るい部屋』という翻訳タイトルはありなのか?

いきなりタイトルです。

原題の"LA CHAMBRE CLAIRE"は、写生の道具を指す一般名詞です。「明るい部屋」という意味もあり、バルトは44節でこのダブルミーニングに言及しています。だがしかし。カメラはラテン語で「部屋」の意味ですが、わたしたちは日常的にカメラのことを「部屋」とか「箱」とは呼びません。そして"CHAMBRE CLAIRE"は道具の名前です。英語訳とロシア語訳では"CAMERA LUCIDA(カメラ・ルシダ)"というこの道具の一般に通用する名称が翻訳タイトルになっています。

しかもバルトは44節で、「写真は明白すぎて奥深さがない。だから写真はカメラ・オブスクラ(暗箱)的であるよりむしろ、カメラ・ルシダ(明箱)的なものなのだ」と言及しています。そこからすると『明るい部屋』という思わせぶりな翻訳タイトルは、バルトの主旨とは相いれず、かなりミスリーディングだと言えるかと思います。他の外国語訳と同じくこの本の日本語タイトルは『カメラ・ルシダ』とするべきだったかもしれません。

カメラ・ルシダ

意味が正反対の誤訳。これはかなり重い。

これだけはかなり問題のある誤訳です。

第3刷の48ページ11~12行目にかけての以下の文です。

「以上のような不意打ち=驚きは、すべて挑戦の原理に従っている(この点に関するかぎり、不意打ち=驚きは、私にとっても無縁ではない)。」

原文でこれに対応するのは以下の文です。

Toutes ces surprises obéissent a un principe de défi ( ce pour quoi elles me sont étrangères)

私たちの理解が間違っていなければ、原文のカッコ内の文は「それゆえ、私には無縁なものだ」と、日本語訳とは反対の意味に読めます。念のために英語訳とロシア語訳を確認しましたが、どちらも私たちの理解と同様の翻訳になっていました。

この文章が含まれる14節では「ストゥディウム」に分類できる写真の要素が説明されます。そこでは、驚くべきことに、私たちにとっては「写真」の重要な意味である全ての要素が「ストゥディウム」に含まれることが示唆されます。そしてここで、先の文が出てきます。

日本語訳に従って読むと、私たちが一般的に「写真」の意味だと思っているもの、それはバルト自身にとっても無縁ではない。ということになります。しかし原文では、一般に「写真」の意味だと考えられているものは、そのためにバルトにとっては無縁なものである。という全く正反対の意味になります。つまり正しくは以下のような訳になるはずです。

「以上のような不意打ち=驚きは、すべて挑戦の原理に従っている(それゆえに、私には無縁なものだ)。」

そしてこの一文の訳の違いは、「ストゥディウム」と「プンクトゥム」を巡るバルトの主旨を理解する上で非常に大きな問題になります。ざっくりまとめると、日本語訳でいくと「ストゥディウム」と「プンクトゥム」の境界はそれほどはっきりしたものではなくグラデーションを描くという理解も可能です。しかし原文では両者は厳しく峻別されています。

この本の日本語読者で「ストゥディウム」と「プンクトゥム」について非常に不正確な理解に留まっている人が多いのは、この日本語訳の誤訳のせいが少なからずあると思われます。そしてこの両者の峻別が理解できないと、この本の後半で「狂気」が導入される理由はよくわからなくなるはずです。

 *

上記ほど重要ではありませんが、知っておくと多少読みやすくなるポイントを以下に紹介しておきます。

 

「戦う画家シノヒエラ」 61ページ

この「シノヒエラ」は篠原有司男のことです。ウィリアム・クラインは1961年に篠原の「ボクシング・ペインティング」を撮影しており、その写真を指していると思われます。

WILLIAM KLEIN -Fighter Painting Ceremony, 1961年

R・メイプルソープ:腕を広げた青年 図版16

これは翻訳の問題ではないのですが、この写真は左右(裏表)が逆になっているのではないかと思われます。ロバート・メイプルソープの同作品は右手を伸ばした絵柄ですが、本書に掲載されている写真は左手になっています。フランス語オリジナル、英語訳、ロシア語訳もこの左手バージョンが掲載されていますが、私たちが調べた限りでは、正式な作品は全て右手になっていました。本書に掲載された図版以外では左手のものは見当たりませんでした。

Robert Mapplethorpe - Self Portrait, 1975年

《映像の前提条件となるのは、視覚である》67ページ

原文:"La condition préalable à l'image, c'est la vue"
翻訳文:《映像の前提条件となるのは、視覚である》

ここはヤノーホとカフカの対話の引用ですが、この日本語訳のように、"image"を「映像」、"vue"を「視覚」と訳してしまうと、二人のやり取りが会話として噛み合わず、意味のある応答になっていません。

翻訳の可能性として、ここは「イメージの前提条件は見るということだ」という訳が適当かと思われます。

英語訳の問題点!

私たちが参照した英語訳はPenguin booksのVintage Classics (1993) です。この英語訳は、訳者が自分の解釈を勝手に本文に書き足して改変している箇所があるので注意が必要です。本来なら訳注にするべき事柄を何の説明もなくしれっと書き加えています!もし英語訳に日本語訳にはないことが書いてあったら、原文を参照するようにしてください。

Camera Lucida: Reflections on Photography
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ロラン・バルト『明るい部屋』の読書会は継続して開催しています。ロラン・バルトの真摯な試みをていねいに追いながら、それを深く理解できるようにレクチャーと読書を進めていきます。読書会を通して私たちは自分自身でこの本を体験し発見することになります。そしてまた、この本がいかに誤解と誤読の山に埋もれているかを知ることにもなります。

ロラン・バルト『明るい部屋』読書会

 

『明るい部屋』読書会:最後のディスカッション先週末は『明るい部屋』読書会の最終回でした。この本を読み終えて最後のディスカッションを行いました。本当にどう言えばいいのかわからなくてこんな言葉しか見つからないのですが、感動に包まれるような最終回になりました。愛と悲しみと世界の関係について、不可能なほど誠実に考えようとした本。それがこの『明るい部屋』です。読書会でレジュメを読み上げながら、私自身、感情が抑えられず何度も胸が詰まりそうになったことがありました。このようなことを言うと必ず「え、そんな本...