アナログ写真ワークショップの基礎クラスでは、初回に好きな写真を持ってきてもらいます。そして、その写真のどこにどう惹かれるのかを説明してもらっています。これが毎回とても刺激的で楽しいので、今回のワークショップに持ってきてもらった作品からふたつ紹介してみます。
まずひとつめは、モハメド・アリの写真です。
モハメド・アリ vs ソニー・リストン戦
モハメド・アリの有名な写真のひとつです。私もこれまで何度も目にしたことがあります。
これを持ってきてくれた参加者の方のお話はこうでした。
モハメド・アリはここでは明らかに優勢で相手を圧倒している。それにも関わらず闘争心と激しい感情をコントロールしようともしていない。自分がトレーニングをしていたとき、この写真を部屋に飾ってモチベーションを上げていました。
確かに「猛々しい」という言葉が思わず出てきてしまいそうな写真です。私がこの写真を参加者の方に見せられて驚いたのは、これまで何度も目にしたことのあるこの写真が、なぜここまで見事なのか気がついていなかったからです。
黒い勝者と白い敗者
この写真を見てまず目につくのは勝者と敗者のコントラストです。優勢と劣勢という抽象的な意味のみならず、ふたりは黒と白という鮮やかなコントラストで描かれています。黒い背景を前に立つ勝者、敗者の背景は白です。一般的な勝負事では勝者の色は白、敗者の色は黒です。しかしこの写真ではそれが入れ替わっています。そのために、まだ勝ち足りない勝者の獰猛さと、勝負そのものから脱落してしまった敗者というイメージが喚起されます。
このふたりを分かつ白と黒の狭間に、ダ・ビンチの「最後の晩餐」のように横一列に記者、観客、カメラマンが並びます。彼らはこの試合を成立させている立会人でありながら、ロープの向こうに追いやられ、決してリング内の世界に関わることはできません。神話を見守る人間のような存在に見えます。
そしてこの神話的なイメージを決定的にしているのは、勝者の頭部を頂点とする正三角形の構図です。遥かな高みから見下ろす荒ぶる神としてのモハメド・アリ。伝説のボクサーにふさわしいイメージです。
カメラマンが見る世界
この写真について考えるとき、どうしても腑に落ちないことがあります。この写真が撮れるタイミングは、ほんの一瞬だったはずです。いったいそんな一瞬にどうしてこんなに完璧な写真を撮影することができたのでしょうか。それは優れたカメラマンだから、という答えにならないような答えしか思いつきません。
なぜそのタイミングにそんな場所にいたのかと思わせるカメラマンがいます。ロバート・キャパもそんなカメラマンのひとりです。完璧なタイミングに完璧な場所にいて完璧な写真を撮影する。
当然ですがこのようなカメラマンは優れた職業写真家として高く評価されます。しかし別の見方をすると、このような写真の撮影スタイルは、写真を撮影するために世界を見ていると言えます。その人自身が世界を経験する機会や意味を、写真撮影に明け渡しているとも言えるかと思います。その先には世界を体験する行為への軽い軽蔑があるのかもしれないと思います。
こんなことを言うのは、私がロバート・キャパを優れた写真家としての評価とは別に、冷笑的な人だという印象を持っているからです。キャパはエッセイなどで戦争をスポーティーに、そしてシニカルに描きますが、それは彼の写真の撮影スタイルと似通っている気がします。自分の目で見るのではなく、カメラの目で世界を眺めているような感じでしょうか。それは彼の隠された鈍感さでもあると思います。
私たちアマチュア写真家が優れた写真を観る時、このような撮影をしたいと思います。しかし同時に、そのような写真を撮ることでどんな体験が失われるかということも考える必要があるだろうと思います。
「インスタ映え」と、旅そのものを楽しむこと。どちらを優先するのかという問題ですね。写真を撮ることが大事な経験を損なう可能性があるとき、私たちは何を優先するのかについていつも悩み続けます。