求む男子。
危険な旅。
微々たる報酬、極寒、完全な暗黒の長い日々、不断の危険、生還の保証無し。
成功の際には名誉と賞賛を手にする。

 
 
そして運が良ければ
死後100年を経て仕事を発見される。
 

20世紀初頭、南極探検はまだ伝説的な英雄譚の時代だった。1911年、ノルウェーのアムンセン隊とイギリスのスコット隊は人類初の南極点到達を競い南極大陸に上陸していた。

 
12月14日にアムンセン隊が南極点に初到達し、全員が生還した。スコット隊はアムンセン隊に1ヶ月遅れで到達。帰路遭難し全滅した。イギリスではこの雪辱をそそぐために1914年に帝国南極横断探検隊が組織された。この探検隊は南極大陸の初横断を目指したが、遭難し、失敗した。しかし隊長シャクルトンと隊員たちの英雄的努力により「全員」が生還した。この冒険は人々に愛され、多くの書籍や映像作品が後世に制作されている。隊長のシャクルトンが新聞に出したとされている隊員募集広告もまた非常によく知られている。
 
実は帝国南極横断探検隊には、支援部隊に3名の犠牲者が出たが、いまはほとんど忘れられたエピソードとなっている。当時の南極探検は多くの映像で記録されたが、この犠牲者を出した支援部隊、ロス海支隊の映像はこれまでほとんど存在しなかった。
Antarctic Heritage Trust
このロス海支隊に参加し遭難死した写真家が残した写真が南極歴史遺産基金の調査により発見された。雪と氷に埋もれた小屋の片隅にフィルム状の氷塊があった。復元作業により、それは現像済みの22枚のニトロセルロース乾板(ナイトレートフィルム)であることがわかった。
 
多くのニュースソースでは「未現像フィルム(unprocessed film, undeveloped film)」と報道されていたが、それは正確ではない。発見されたフィルムは現像済みだった。未現像ではない。それとも私の知らないところで、いつのまにか「(フィルム)現像」の意味が変わってしまったのだろうか?
Antarctic Heritage Trust
 
ともあれ、氷とカビによって現像済みナイトレートフィルムはひとつの塊になっていた。
 
ナイトレートフィルムはニトロセルロースがベースになっている写真乾板で、重いガラス乾板に替わる画期的な「銀塩フィルム」だった。南極探検にはうってつけだっただろう。
 
ナイトレートフィルムはその可燃性で知られている。長期間の保管では劣化し、保存には専門的な知識が必要になる。しかし暗黒の極低温で100年間氷漬けになっていたフィルムは、カビ(!)による浸食を除いては、驚くほどの鮮明さを保っている。豊かな階調の銀画像は、このフィルムがたどった過酷な経過をほとんど感じさせない。
Antarctic Heritage Trust
ところでもしこの写真がデジタル記録されたものだとしたら、これほど長い時間のあとに、生き生きとした映像を復活させることができただろうか。30年前に登場したLD(レーザーディスク)の再生がすでに簡単ではないように、デジタルの記録媒体と記録方式の保存面の信頼性は低い。
 
国立近代美術館フィルムセンター等のフィルムアーカイブも映画の保存はフィルムで行っており、デジタル化による保存には慎重だ。またデジタル保存のほうがコストが高くつくというのもフィルム保存の専門家の共通の見解になっている。
 
 
南極で100年間、雪と氷に埋もれていた現像済みフィルムは、ただそっとめくりあげさえすれば、その映像を確認することができた。
 
英雄譚はいまもアナログで語り継がれる。
Antarctic Heritage Trust

※発見された写真は南極歴史遺産基金のウェブサイトで見ることができる。

Antarctic Photos
Century old Antarctic images discovered in Captain Scott's hut

 

1911年の南極の芸者:アナログ写真の逆襲
 20世紀は映像の時代であったと言われています。 多くの事件、戦争、学術探検、無謀な冒険が映像で記録され人々の知見を広げました。 まだ伝説的な英雄が活躍する時代であった南極探検も多くの映像で記録されました。当時の貴重な写真は現代のわたしたちに多くのことを教えてくれ… ちょ、ちょっと待て。それは…なんだ?昨日1月17日は、悲劇の南極探検隊として有名な、イギリスのスコット隊が南極点に到達してから102年目にあたる日でした。ノルウェーのアムンセン隊に遅れること一ヶ月。人類初到達をかけた競争に敗れ、失意の帰路...