作者の死 2.0|モネ「睡蓮、柳の反映」復元プロジェクト

monet Water Lilies
AIを使いデジタル推定復元されたクロード・モネ《睡蓮、柳の反映》。制作は凸版印刷株式会社、監修は国立西洋美術館

本物か贋作か。

昔から美術作品につきまとうこの問題。

だがそれでもこれまで、私たちは安心していられた。

「本物は正しく、偽物は悪い

長い美術の歴史の中でこの確信が揺らぐことはなかった。
…AI技術が登場するまでは。

AI技術による美術作品の復元は、芸術という概念を根幹から揺るがすようなできごとだったのではないか?

 

 

モネ「睡蓮、柳の反映」AI 復元プロジェクト


国立西洋美術館で開催されていた、松方コレクション展。目玉の展示企画に、印象派の画家モネの《睡蓮、柳の反映》の"復元"がありました。

この作品《睡蓮、柳の反映》は第二次世界大戦中の疎開後に行方がわからなくなり、2016年にフランスの美術館の倉庫から見つかったものです。しかし疎開中に絵が大きく破損し、上半分がほとんどなくなってしまっていました。

これだけ大きな破損があると通常の修復はできません。しかも元の絵に関して残されている資料は当時撮影された白黒写真だけ。フランスから返してもらったのはいいものの、どうするのこれ?よし、AIで復元しよう!

こうして美術史上に例のないAIによる復元プロジェクトが始まりました。復元の方法は、モネが描いた大量の絵をAIに学習させて色やタッチを再現していくというものでした。

 

 

本物でもなければ贋作でもない、未知の絵画

 

復元結果はプロジェクターによる上映展示でしたが、絵肌や筆使い、色の置き方などどれをとっても破綻が無く、損傷部分との境界も分かりませんでした。正直とてもよく再現されていると感じられました。

しかし、なんだ、この違和感は。この絵は…本物…なの?

私たちは美術はオリジナルであることに価値があると信じています。昔の絵画は工房制作のものが多くありましたが、本人以外の人間の手が入るとその度合にしたがって価値は低くなります。だって本人が作った本物がいちばん価値があるのですから。だから、本人ではない贋作者が作った偽物なんて論外なのです。

ですからもし購入して展示していた絵が偽物だとわかったら、美術館にとっては信用に関わる大問題になってしまいます。

 

美術界では有名な贋作を知らずに展示していた日本の美術館についての記事

 

「芸術の本質は本物にある」私たちはそう信じています。ということは逆にこう言うこともできます。偽物の絵は、贋作者の作品だ。そうです。偽物が存在しているのは、偽物を作った人がいるんです。悪い人が!だから偽物は悪い人が作った価値のない作品だと、私たちは言うことができます。もし偽物に騙されたとしても、それは騙そうとした悪い人がいるのです。そしていちばん大事なことは、本物は作者本人に、ニセモノは贋作者に、絵は必ずそれを描いた作者にひもづいているという確信を私たちは持っているということです。

ではこの復元されたモネの絵はどうでしょう?
本物でないことは確かです。

では偽物なのかというとそうとは言えない。なぜなら、偽物を作ったひとがいないから!これは本物のモネの絵画をAIが分析して再現したものなので、あえて言うならこの偽物を制作したのはモネ自身です。

モネの絵のニセモノ。描いたのはモネ。そりゃこんな絵を前にしたら脳がバグって違和感を感じるのは当然です。

 

monet Water Lilies
AIを使いデジタル推定復元されたクロード・モネ《睡蓮、柳の反映》。制作は凸版印刷株式会社、監修は国立西洋美術館

 

オリジナル作品という神話

 

繰り返しますが、私たちは「芸術の本質は本物にある」と信じています。ですからパクリはだめでオリジナルが優れているのです。美術作品はかけがえのないオリジナルだから価値があるのです。私たちはそう信じています。では、版画などの複製可能な技術が生まれたときはどうしたか。そうです。エディションナンバー。版画の版も摩滅しますし、微妙な部分は同じものは作れない。だから作家本人が認めたいくつかのプリントだけに限定して番号を振って販売する。そうやって私たちはオリジナルという神話を生き延びさせました。

デジタル写真はどうなのか?インクジェットプリントならほぼ完全に同じものをいくらでも複製できるではないか。そう、そのとおり。でも、美術市場では、インクジェットプリントにエディションナンバーをつけて販売しています!「これはオリジナルです、だから価値があります」というエクスキューズはもう成立していません。もはや制度として破綻しています。それでもそれを受け入れているのは、私たちの「芸術の本質は本物にある」という信じ込みがあまりにも強いからだと言えます。

余談ですが、以前ドキュメンタリー映像の仕事をしていたころに、作家の安部公房の書斎で撮影したことがあります。そのとき、安部公房が使っていたワープロの電源を入れたら、なんと書きかけの原稿が画面に出てきました。まだだれも読んだことのない原稿です。これはすごいものを見つけたね!全集の編纂をしている出版社に連絡しよう!と現場で盛り上がりました。そして撮影を進めていると「あっ!」と叫び声が。ワープロを操作していたスタッフが、いま発見したばかりの原稿の一部を消してしまったのです!「大丈夫です!内容を覚えています!書き直しました!」…お、おう。問題なし!

 

作品に君臨する神、作者

 

デジタル時代になってオリジナル作品という神話は、破れかぶれになっていました。ですが、まだ生き延びてはいました。しかしこのAI技術による復元は、さすがに一線を超えてしまったのではないでしょうか。なぜならこの復元によって、「作者」とは何かがゆらぎ始めたからです。

デジタル作品の登場により、私たちは「オリジナル作品」の定義ができなくなりましたが、AIの登場によって「オリジナルの作者」つまり作家本人まで定義できなくなってしまう可能性があります。それは作品を還元するべき「本物の作者」がいなくなってしまうということです。

もしかすると、この復元を担当した学芸員や関係者も、意図せずしてまったくわけのわからないものを生み出してしまった、という感覚を持っているのではないでしょうか。

展覧会の会場ではこのAIにより復元された絵画は全面に押し出して展示されていましたが、販売されていた展覧会図録には参考資料としてすら掲載されていませんでした。このダブルスタンダードに関係者の困惑を感じました。

 

クロード・モネ 《睡蓮、柳の反映》 1916年 国立西洋美術館(旧松方コレクション)
左:発見時には上部が欠損し下部のみ画布が残る。
右:欠損部分に破損前のモノクロ写真を重ねた状態。

 

作者の死 2.0

 

思想家のロラン・バルトはかつて「作者の死」というアイデアを提唱しました。これは作品がなんでもかんでも作者本人に還元されてしまうことへの異議でした。例えば宮沢賢治の生涯を詳しく知れば彼の作品を理解できる、というような考え方に対して、作品は作品として作家とは分離して読まれるべきだ、という主張です。これは作品を分析や批評するうえで非常に重要な見方です。ゴッホの絵だから素晴らしいのではなく、その絵が優れているかどうかを問題にするべきなのですから。とはいえそれは、作品には作者が存在している上での話でした。

しかしAIは作者本人をただのデータにしてしまいます。そして作品はデータとなった作者本人から自律的に生成されていきます。作品には作者という神が君臨しているという神話はもう成立することはありません。作品の向こうには、ただデータがあるだけ。しかもそのデータは作者本人であり、作品制作には他の誰も介入していないのです。

AI技術により、いま私たちはこれまで誰も想定しなかった芸術の限界点である「作者の死 2.0」に直面しているのではないでしょうか。デジタル作品はまだ理解できます。しかしここで起こっていることは作者のデジタル化です。作品も作者も存在しているのに芸術だけが存在しない。これは芸術という概念を根幹から揺るがせる出来事なのかもしれません。

 

 

この記事は、東京オルタナ写真部のアート批評ワークショップ「作品を見る、語る」の参加者との共同執筆です。

 


 

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