写真には3つの時間がある。
その写真を見ている私の現在の時間、
その写真が撮影された時間、
そしてその道をキリストが歩いた時間。
1850年、オーギュスト・サルツマンはエルサレムの近くで、ベツレヘムへの道を撮影した。その写真には、ただ石ころだらけの道と数本のオリーブの木しか写っていないが、しかし三種類の時間が私の意識を動転させる。
ロラン・バルト『明るい部屋』39章 (プンクトゥムとしての「時間」)
ベツレヘムの写真とヴィア・ドロローサ(嘆きの道)
39章で参照されているオーギュスト・サルツマンのベツレヘムの写真を添付します。
余談ですが、私がエルサレムを訪れた時、ヨルダン川方面から入国したのですが、パレスチナ人のバスに乗ってしまいました。彼らはエルサレム市域への進入を禁止されていたため、エルサレムからずいぶん遠いところで降ろされてしまいました。しかたなく適当に方角を定めて歩き出したのですが、いくら歩いてもたどり着かない。地図も持ってないので完全に道に迷ってしまいました。
そのうちふと、通り過ぎた路地の向こうに、キラッと光るものが見えた気がしました。引き返してみると路地の坂の下にエルサレムの岩のドームの金色の屋根が光っていました。
エルサレムに向けて路地の坂を下っていくと、周囲にオリーブの木が増えていきました。なんと、そこはオリーブ山/ゲッセマネでした。キリストが最後の祈りを捧げ、ユダを介してローマ兵に拘束された場所です。私が泊まる予定にしていた安宿は聖墳墓教会、つまりゴルゴタの丘の真横でしたから、私はいきなり、キリストが十字架にかけられるまで最後に歩いた道、ヴィア・ドロローサ(嘆きの道)を歩いていました。
『明るい部屋』39章のオーギュスト・サルツマンのくだりを読んで、以上のことを思い出したのですが、この話はまだ続きがあります。
私がエルサレムを訪れたのは20年前。デジタル写真はおろかまだメールも普及していなかった時代です。
最近、ちょっと魔が差してその道を探してみたら…ありました。以下のストリートビューに見えている右側の道が、わたしが通った路地です。ここを降りていくとゲッセマネを通ってエルサレムのライオン門にたどりつきます。
…。
私の思い出に何をするのだ、Google。
バルトは『明るい部屋』38章 で、自分は写真が見せる「驚き」の最後の証人のひとりになるだろう、と書いていますが、その予見は全く正しかったと言えます。しかしバルトもまさかこんなことになるとは思っていなかったでしょうね。
(東京オルタナ写真部『明るい部屋』読書会メールより)