今日「MO紙」で検索してみました。するとオンラインの画材屋さんの商品情報が、何ごともなかったかのように検索結果に並びます。その中にひとつだけ「MO紙を商品ラインナップから削除しました」と記載している画材屋さんがありました。
やがてひっそりと、決して多くの人には気づかれず「MO紙」の商品情報は検索結果から消えていくはずです。なぜならMO紙はなくなったからです。
オルタナティブプロセスと呼ばれる古典的な写真プリント技法では、印画紙を自分で作ります。つまりプリントに使う紙は自由に選べます。私も、自分の作品と技法に合う紙をずっと探してきました。
写真プリントの見た目はいろいろな要素が絡まっています。紙選びの時に重要になるのは、紙の質感と描写のバランスです。紙の質感がガッツリ出てくると迫力はあるけれど描写は劣り、逆に精細な描写を優先すると紙はつるつると質感の乏しい紙になってしまいます。紙を選ぶときはそのバランスを吟味します。さらに感光液を塗布するときの扱いやすさや、画像の安定性などの性能も重要です。
洋紙、和紙、インド、中国、韓国の紙など様々な紙を試した末に、私がもっとも気に入ったのが手漉きのコットン和紙、MO紙でした。
MO紙は越前和紙です。越前和紙は奉書紙や局紙など古くから洗練されたオーセンティックな紙を生み出してきました。戦争により輸入画用紙が入手できなくなった昭和初期、越前市の和紙職人、沖茂八さんが研究開発した国内初の和紙画用紙がMO紙です。沖茂八さんが亡くなった後、三代目の沖桂司さんが漉いていました。私が使ったMO紙は全て桂司さんが漉いた紙です。お会いしたことはありませんでしたが、私は沖桂司さんの手が作ったものを「手渡し」で受け取っていたわけです。
MO紙は水に非常に強く、何度も水洗を繰り返す古典写真技法にも十分耐えました。また紙質は柔らかさと硬さが絶妙で、紙の質感と描写の精細感のバランスが良く、乾燥後はぴしっと平らに仕上がります。感光液の塗布もしやすく、ムラになるようなことはほとんどありませんでした。
ようやく自分が納得できる紙を見つけることができて、これで作品が作れる。そう思っていました。東京オルタナ写真部のワークショップでもこのMO紙で参加者のみなさんにプリントを作ってもらっていました。
ある時、私がMO紙をお願いしている杉原商店さんに注文のメールを送ったところ、沖桂司さんが入院されていていまは在庫分しかないと返事をいただきました。沖さんにお大事にとお伝え下さいと返事すると、それにもていねいに返信をいただきました。少し不安な気持ちもないわけではなかったのですが、それでも退院されたら工房まで行ってお会いしようと気楽に考えていました。
そして数ヶ月経ち、連絡してみようと杉原商店のウェブサイトを開いたところ、いつものMO紙のページに数行追加されていました。それはごく簡単な訃報でした。
杉原商店さんによると、MO紙の製法は沖桂司さん以外の他の誰も知らないそうです。他の工房が再現しようとしているのだけどできない、ということでした。
手すき和紙は継承者が少なく、非常に多くの紙があと少しの時間でなくなっていくだろうと言われています。私も和紙を探していたときに何度もそのことを聞きました。紙を漉いても誰も買わない。継承者もいない。優れた多くの手漉き和紙が間もなく滅びるだろう。
しかし本当に現実になるまで、それがどういうことなのか理解していませんでした。あれほど素晴らしい物が、こんなに突然、こんなにあっけなく、こんなに簡単に忘れ去られていくなんて。
ここ最近、メディアの上で皮相的な日本の伝統文化ブームを見かけることが多くなりましたが、私は少し距離を感じてしまいます。伝統や文化とは、テレビやインターネットで消費されるコンテンツではなく、人の生活の中に息づくもののはずです。とても好きだったMO紙が静かに消えていくのをただ見ているしかないいま、伝統や文化のあり方についてどうしても考えてしまいます。
ところで私が持っている残りのMO紙ですが、実は惜しみなく使っています。紙は保存もできますが、保存してダメになることもあります。使われるために生まれた紙ですから、コンディションがいい状態で使ってあげたいと思っています。ですからワークショップでもどんどん使っています。今度の花の写真のグループ展の多くの作品はMO紙にプリントされたものです。
しかし最後の一枚になったときはどうだろうと想像してみて、きっと使えないだろうなと思いました。たぶんそれだけは、ずっと取っておくのだろうと思います。