写真とアートをめぐる東京オルタナ写真部読書会
ここまで、写真・美術批評や表現の自由に関する本を読んで来ましたが、ついに今回!ギリシャ神話を読みます!現代文明の源流であるギリシャ文化、そのギリシャ最古の古典作品、ホメロスの『イリアス』と『オデュッセイア』を読みます。

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ぜんぶギリシャ神話から始まっている

アートとは…と話をする以上、知らないわけにいかないギリシャ神話。その理由は、ギリシャ神話が芸術作品のモチーフになってきたからというのもあるのですが、そもそも私たちが生きている現代文明の源流が古代ギリシャにあるからです。ベタな話だとオリンピックとか。私たちの世界、ギリシャから始まってる。

たとえば芸術におけるヌード。写真作品でもヌードはジャンルとして確立しています。しかし、裸の身体は社会生活では忌避されるのに、なぜ芸術では一般的なのか。その理由は元は古代ギリシャにあります。ヌード芸術は、古代ギリシャ人の価値観が現代まで受け継がれている一例です。

東京オルタナ写真部の読書会 東京オルタナ写真部では美術批評や写真論を読む読書会を開催しています。この読書会で先日読み終えたのは、ケネス・クラーク著『ザ・ヌード』。読み終えるまで約半年かかりました。本を一冊読むのに半年もかかるなんて…と思われるかもしれませんが、私も思ってました。ゆっくり読んでもせいぜい1ヶ月もあれば終わるだろうと、思っていました…。甘い…甘かった。そして何もわかってなかった。あの頃の私はまだなにも知らなかったんです。 Kenneth Clark "the Nude" そもそもなぜ『ザ・ヌード』...

そうはいっても、ギリシャの古典を読むのは敷居が高そう…と思っていましたが、昨年末の忘年会で読書会で次に読む本の話題になり、うっかり「ギリシャ神話」と口走ってしまい即決しました。

そういうことなら、最初から読むか!と、ギリシャ最古のホメロスから始めることにします!ヨーロッパ人にとっては読んでて当たり前というホメロス。『イリアス』と『オデュッセイア』を読みます。まずは『イリアス』から。

 

『ブリセイスを譲るアキレウス』
ポンペイの悲劇詩人の家のフレスコ画
紀元1世紀 ナポリ国立考古学博物館

『イリアス』ホメロス Iliad: Homer

少し読み始めてみましたが、率直に言ってめちゃくちゃ面白いです!とくに美術史に関心がある人なら、歴史的な作品を参照しながら読み進めることができます。とはいえ馴染みのない固有名詞は大量に出てくるし、『イリアス』だけでも文庫本で1000ページ近い長さです。自発的な関心を持てないと、読書会に参加しても途中で挫折するかもしれません。少し長丁場になると思いますので、腰を据えて一緒に読める方のご参加をお待ちしています。

松平千秋の日本語訳で読んでいく予定ですが、日本語訳以外の参加も歓迎です。抄訳ではなく原文の翻訳に限ります。この読書会でもギリシャ語の原文や他の言語の翻訳を参照するかもしれません。

 

トロイア戦争の末期、物語はギリシア軍第一の勇将アキレウスと王アガメムノンの、火を吐くような舌戦に始まる。激情家で心優しいアキレウス、その親友パトロクロス、トロイア軍の大将ヘクトルら、勇士たちの騎士道的な戦いと死を描く大英雄叙事詩。
第13歌から第24歌まで。勇将アキレウスを欠き苦戦するギリシア軍。アキレウスの武具を借りて一時はトロイア軍を敗走させたパトロクロスも敵将ヘクトルに討たれる。死を覚悟して復讐戦に立ち上がるアキレウス。伝ヘロドトス作「ホメロス伝」を併載。

 

また、読み進めながら他の解説書を参照していく予定です。とくに美術史と関連した参考書は併読したいと考えています。

 

『イリアス』468行から473行 
エジプトの木板 400~500年
大英博物館

開催日程

2022年3月5日(土) 18:00〜
毎週土曜日 18:00から開催。
読み終えるまで開催します。

  • 開催方式
    • オンライン開催を予定しています。
    • 状況をみて対面とオンラインの同時開催も行います。
  • 参加費:カンパ(500円/月 程度)
  • 進行:大藤健士

参加方法

参加希望の方は以下の申し込みフォームよりお申し込みください。

申し込みフォームを送信後、折り返しこちらから詳細をご連絡いたします。もし2日以内にメールが届かない場合はお手数ですが下記メールアドレスまでご連絡ください。東京オルタナ写真部:info@tokyoaltphoto.com

『イリアス』読書会

参加申込フォーム

 

読書会へのご参加について

「本やメディアで話題になる作品が評価されるべき作品だ」
あるいは
「作品の評価は自分の好き嫌いの感覚で決めていい」

このどちらの見方も、一般的にアートを評価する方法だとふつうに考えられています。しかしこのどちらも結局は場当たり的な言葉しか生みません。そして場当たり的な気持ち良い言葉を多くの人が使い始めると、ていねいに切実に見て考えようとする態度は抑圧されていきます。

場当たり的な言葉に覆い尽くされてしまうと、私たちはほんとうに自分にとって大切なものについて考える言葉を持てなくなってしまいます。東京オルタナ写真部のアート批評ワークショップと読書会は、切実なものを考えるための言葉をつかみ直すための試みとして始まりました。これは、多数を頼みにした安全な場所から発せられる言葉に抗いながら、自分の言葉を見つけていく挑戦とも言えます。

私たちの読書会批評会はどのような人にも開かれています。ただ参加にあたっては、意味のある議論へのリスペクトをお願いしています。と言っても、難しいことではありません。言葉でなんとでも言うのではなく、意味のあることを話し合い、いっしょに考えていきましょうというお誘いです、もし参加にあたってご質問などがありましたら、お気軽にお知らせください。

info@tokyoaltphoto.com : 東京オルタナ写真部メール

私たちの読書会と批評会については、こちらのブログ記事もご参照ください。

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