暗室のワークショップで必ず聞かれることがあります。

「どの写真をプリントすればいいですか?」

その質問にはいつも質問で答えます。

「あなたは自分の部屋の壁に、どの写真を飾りたいですか?」

私たちの写真のワークショップを受講してくれるのは写真を好きな人たちです。中にはプロカメラマンの人もいますが、そんな人もここでは写真が好きなふつうの人です。技術や知識を私は教えることができます。しかし彼らがいちばん知りたいことは教えることができません。なぜならそれは私もわからないことなので、一緒に考えるしかないからです。

それは「なぜ、自分は写真を作るのか」ということです。

"Paterson"

ジム・ジャームッシュ監督の映画『パターソン』は、その問いへの確かなひとつの答えだと思いました。私たちは愛し合ったり、愛し合うことをあきらめたり、楽しく、あるいはつまらなく毎日を生きています。それが私たちの生活ですが、その中で誰にでも芸術が必要になる瞬間があります。

芸術というと大げさな響きがあります。それは美術館で展示されたり、難解であったり、信じられない高額で取引されたり。あるいはそれでは食えないから、まともな社会人が関わるものでないとされるものです。

誰かが芸術に関わっていると聞くと、評価されているの?稼げてるの?というのが、私たちの知る芸術です。写真も同様です。しかし私たちが生活の中でどうしても必要になる芸術はそのようなものとはまた別のものです。

生活の中で必要とされる芸術。映画『パターソン』は、ただそれだけを描いた映画です。

"Paterson"

「なぜ写真を作るのか」

この問いに雑駁な放言で応える写真家は大勢います。しかしその放言のせいで写真を作れなくなった時期がある私に彼らと同じことはできません。

つい先日、ワークショップに参加してくれた人からこんなメールをもらいました。

「グループ展に参加したいと思っているのですが、自分が何を撮りたくて、どんな写真を作りたいのかよく分からないのです。こんな状態から出発して何とかなるのでしょうか?」

いつもなら答えるのが難しい質問ですが、今回は私はとてもラッキーでした。答えはシンプルです。

「いま上映中の映画『パターソン』を観てみてください。」

"Paterson"
 

詩からアナログ写真へrhyme(韻)は続く。パターソン。

ニュージャージー州パターソンに住むバス運転手のパターソン(アダム・ドライバー)。彼の1日は朝、隣に眠る妻ローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)にキスをして始まる。いつものように仕事に向かい、乗務をこなす中で、心に浮かぶ詩を秘密のノートに書きとめていく。帰宅して妻と夕食を取り、愛犬マーヴィンと夜の散歩。バーへ立ち寄り、1杯だけ飲んで帰宅しローラの隣で眠りにつく。そんな一見代わり映えのしない毎日。パターソンの日々を、ユニークな人々との交流と、思いがけない出会いと共に描く、ユーモアと優しさに溢れた7日間の物語。