私たちは白黒のアナログ写真のワークショップを開催しています。
白黒のフィルムで撮影し、現像し、銀塩印画紙にプリントする、白黒写真のワークショップです。

このワークショップを始めたのは「表現技法として写真をきちんと解説したい」という理由からでした。写真はこれまでも多くの場所と機会で教えられてきましたが、実際には表現技法を整理して解説される機会は驚くほど稀でした。長い間、写真は芸術面と技術面が非常に混乱した形で指導されてきました。

その結果、フィルムを使う銀塩写真は、表現の可能性を十分に理解されずに忘れられようとしています。しかし逆にデジタルが主流になった今だからこそ、フィルム銀塩写真の可能性をニュートラルに話せるようになってきた面もあるように感じます。

このような理由から、私たちのワークショップはまず技術的な内容が中心になります。とはいえ、技術は表現に結びついてこそ「技法」としての意味があります。そのため、ワークショップの初回では好きな写真を持ってきてもらって、その写真の魅力を分析するということを行います。これがなかなか楽しいのですが、先日マリオ・ジャコメッリの作品を持ってきてくれた参加者がいました。以下、その参加者の方の言葉の要約です。

 

「この写真は神学を学ぶ学生たちを写したものです。私はこの写真に『純粋さ』というようなものを感じます。
 
ひとつは白と黒の強いコントラストに単純化された形状です。このシンプルな美しさが『純粋さ』を感じさせます。
 
もうひとつは、写真に写っているのが、雪の中で遊ぶ大学生たちだということです。
 
私は台湾出身で平地に雪が降るのを見たことがありませんでした。日本に留学に来た年、ある日大雪が降りました。朝起きたら一面に雪が積もっていました。部屋の窓を開けてそれを見た時、とても喜ばしい気持ちがしました。この写真に写っている学生たちは、そのような喜びの中で遊んでいます。これが私がこの写真から『純粋さ』を感じるもう一つの理由です。」

 

以前、私はマリオ・ジャコメッリの作品を美術館で観たことがありますが、それほど魅力を感じなかったように覚えています。それは単純化された画面は質感に乏しいように思えて、なぜ作家がこのような表現を選んだのか理解できなかったからです。

しかしこの参加者の言葉を聞いて初めて、このシンプルな形状の意味を理解することができました。私は今後、マリオ・ジャコメッリの作品を見るときには、必ずこの「純粋さ」を見るようになるだろうと思います。

写真は技術と芸術が重ね合わされたものです。

技術と芸術。それぞれを話すのに必要な言葉は、科学の言葉と詩の言葉です。私たちが作りたいのは、これらの言葉の違いに混乱することなく、写真の表現に近づいていけるような新しいワークショップです。これからも参加者の方と対話を重ねながら、一緒に試行錯誤を続けていきたいと思います。


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