アフガニスタンのボックスカメラの秘密。
それを知ることができたのは、あるウェブサイトのおかげだった。
そして、その調査プロジェクトを応援し支えていたのは、
世界中の写真愛好家たちだった。
ボックスカメラ「kamra-e-faoree」を使うAINAの女学生たち。タリバン政権下では、写真はもとより、女性が学校に通うことも禁止されていた。
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(アフガニスタンの箱カメラ その①から続く)
NGOのAINAがアフガニスタンに開いた学校には、フォトジャーナリズムのコースがある。そこで学生が最初に学ぶのはボックスカメラ「kamra-e-faoree」の使い方だ。
やがては彼らもデジタル機材を手に授業を受けることになるのだが、しかし最初に写真の基礎知識を学ぶにあたって、このボックスカメラは最適な教材だ。
現在、日本では、プロカメラマンにおいてですら、filmを扱ったことの無い人が多い。自家プリントの経験のある人はさらにもっと少ない。それはつまり、手作業で写真を作ったことのある人はほとんどいないということだ。カメラは電子機器と同義になり、その基本の仕組みが発明以来ほとんど変化していないことは、もはやイメージできなくなっている。
だがボックスカメラは、写真のシンプルなシステム全てをコンパクトに経験し、理解することができる。
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ところでなぜ、自分は積年の謎だったインド(アフガニスタン)のストリート写真師のことを突然知ることができたのだろう?
ウェブで偶然面白そうな情報をみつけたから?
いや、そうだ。その通りだ。
だが、それはどういうことか考えてみてほしい。
それはつまり、好奇心と愛情を持って、世界の果ての写真屋に会いに行った人々がいたからなのだ。
彼らが、アフガニスタンのストリート写真師たちを取材し、歴史を調査し、それを共有の知的財産として公開したから、私たちはそれを受け取ることができるのだ。
このプロジェクトは公的な支援を受けた学術調査ではない。
最初は写真家のLukas Birkと文化人類学者のSean Foley、このふたりの個人的な関心から始まった。
しかしいま、このプロジェクトは多くの市井の人々が応援し援助している。
KICK STARTER アフガン・ボックスカメラ・プロジェクトのページ
アフガン・ボックスカメラ・プロジェクトは現在、KICK STARTERというサイトで2012年度の調査プロジェクトの資金公募を行っている。賛同者は一定の金額(あるいはそれ以上)をプロジェクトに寄付することができる。そして寄付額に応じて、プロジェクトから感謝の印と、そしてプロジェクトを応援できる喜びを得られる。
(詳しくはこちらのページの右側に書いてある。新しいアフガンボックスカメラを届けてくれるサービスもあり)
彼らをサポートしている人の中には、写真芸術史に関心がある人なら知らない人はいない、Alan Griffiths氏(写真歴史資料サイトLuminous-Lint運営者)も名前を連ねている。
世界中の写真愛好家たちの知的な好奇心と、歴史・文化へのリスペクト。
それがこの、世界の片隅で消えようとする写真文化を記録するプロジェクトを支えている。
酔狂といえばそうだろう。しかしこれはわたしたちの知的な財産への投資だ。
文化の未来に対する投資、そして自分の自由な生き方への投資なのだ。
これは感動的なことだ。
そして簡単な手続きで、自分も彼等を支援する輪に参加できることを光栄に思う。
だいとうも一口寄付した。彼らは今年の調査プロジェクトに$9,800を必要としている。
KICK STARTERを介した資金公募は2012年3月31日まで。
プロジェクト主催者Lukas Birkからのメッセージ
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私たち日本人はいまあるものをつぎつぎと捨てながら新しいものを追うことをよいこととする。
それはいかに早く忘れるかを競い合うようなものだ。
そしてそれは産業にとっては好都合かもしれないが、文化にとっては馬鹿げたことだ。
文化にとってより重要なことは、歴史をいかに長く覚えておくかであるはずだ。
アフガニスタンのボックスカメラはまもなく姿を消すだろう。
それを記録しようとする人とそのプロジェクトを支えようとする世界中の写真愛好家たち。
これが文化でなくて何が文化だと言えるだろうか。
もういちど言うが、知的な好奇心と、歴史・文化へのリスペクトが彼らの行動の動機だ。
この記事を「アナログ写真の逆襲」としたのは、アフガニスタンの箱カメラ文化に対してではなく、
それに注目し、その文化を後世に残そうと協力する写真愛好家たちに向けたつもりだ。
さて、日本の写真の状況はどうだろうか。
少しまわりを見渡して考えてみてほしい。
実のところ、日本の写真の歴史は忘却の歴史だと言って過言ではない。
それほど、見事なまでに過去のことを忘れ去ってきたのが、私たちの写真文化だ。
それを「文化」と、まだ呼べるのならだが。
しかしそれを指摘する人はほとんど誰もいない。(だいとう以外には)
なぜなら、忘れたことすら忘れてしまっているのだから。
いずれ機会があれば、そのことについても書こうと思う。
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◉おまけ:
インドのストリート写真師
やっぱりインドもこうだった!