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写真とアートをめぐる東京オルタナ写真部読書会。
ここまで、写真論、美術批評、表現の自由に関する本、ギリシャ神話(ホメロス)を読み、ついにギリシャ哲学へ。『パイドロス』に続く「恋(エロース)」シリーズ第二弾。『饗宴』を読みます!
ギリシャ哲学、なにそれくえんの
東京オルタナ写真部の読書会はロラン・バルトの『明るい部屋』から始まりました。その『明るい部屋』に導かれて、この読書会はギリシャ神話、ギリシャ哲学にたどり着いたと言えます。
とくに前回読んだ『パイドロス』は、『恋愛のディスクール』や『明るい部屋』などバルトの晩年の仕事とぴったり表裏をなしているような内容でした。そして今回は『饗宴』です。
ところでギリシャ哲学というと、自分の人生に関係ないわと思う人がほとんどかと思います。私たちもそうでした。しかし読んでみると、むしろギリシャ哲学に関係ない人はいないというほど、現代の私たちにも深く関係していることがよくわかります。
そもそも、恋ですよ。ソクラテスが何の話をしているのかというと恋についてです。そしてこれが熱い。最古にして最高の恋愛論なのではないか。恋を経験したことがあるすべての人におすすめできる本です(『パイドロス』)。
もちろん、古代の恋愛と現代的な恋愛観は異なるので参考にならない、という見解もあるのはわかります。しかしそのように「冷めて語られる」のもまた恋の宿命。人はあの経験を人生の中で直視できない(したくない)のかもしれません。それがなぜなのか、そしてあの経験はそもそも何だったのか。ソクラテスの語りはその本質をみごとにつかみだしているように思えました。
難しいことはともかく、読み物としてもとても面白い。もはやずるい。しかも『饗宴』にいたっては《イリアス》の主人公アキレウスと従者パトロクロスがどっちが何役だったとか古典BL談義(真剣)もあったりして、いまからわくわくです。
「哲学ベーカリー」開催します。
「哲学ベーカリー(パンを焼く会)」を読書会とあわせて開催します(読書会と同じ日に開催します)。
そうは言ってもギリシャ哲学はそのままでは食べられないので、実際に食べられるパン(サワードウ・ブレッド)を焼いて、それを食べながら進行します。
「哲学カフェ」は1990年代にフランスから世界に広がったムーブメントですが、さらに進んでパンを焼いて食べながら読書と議論を行い、「哲学くえんの?」を実践でやっていきたいと思います。
今回読むプラトン『饗宴』は、原題が「シュンポシオン」というギリシャ語です。英語ではSymposium。つまり「シンポジウム」です。シンポジウムは現在では公開討論会のような意味ですが、もともとは「一緒に酒を交わす」の意味です。
ギリシャ神話のホメロスにも、登場人物の人や神々が飲食するシーンはたくさん出てきます。ギリシャ人にとって、飲食は肉体の栄養だけでなく優れた精神を養うための糧でした。ですから私たちもこの『饗宴』読書会は飲食しながら進めたいと思います。
この「哲学ベーカリー」で焼くパンは、ドライイーストを使用せず、ライ麦粉から育てた酵母を使うサワードウ・ブレッドです。いわばパンの古典技法。古代エジプトや古代ギリシャから変わらない製法だと言えます。
キッチン付き会場やコミュニティキッチンを利用します。サワードウ・ブレッド(自家培養酵母パン)を焼いてみたい方はあわせてご参加ください。
開催日程
2024年5月11日(土)より開催。
毎週土曜日 18:30から。読み終えるまで開催します。
- 開催方式
- 対面+オンライン、両方での開催になります。使用するビデオ会議サービスはGoogle Meetを予定しています。
- ディスカッションや連絡などにDiscordを利用する予定です。お申込み後に読書会のサーバーをお知らせします。
- 参加費:会場費カンパとして月に1,000円程度。
- 進行:大藤健士
参加方法
参加希望の方は以下の申し込みフォームよりお申し込みください。
申し込みフォームを送信後、折り返し詳細をご連絡いたします。もし2日以内にメールが届かない場合はお手数ですが下記メールアドレスまでご連絡ください。
東京オルタナ写真部:info@tokyoaltphoto.com
ギリシャ哲学は食えるのか?
ギリシャ神話やギリシャ哲学が写真に関係あるのか?と思っていました。しかし読み始めてみると、むしろ逆にギリシャ神話やギリシャ哲学が関係しない分野ってあるのか?と思えてきました。
ギリシャ神話、ギリシャ哲学なにそれ食えんの?問題については、これまでの読書会のページでも少しふれています。
読書会へのお誘い
「本やメディアで話題になる作品が評価されるべき作品だ」
あるいは
「作品の評価は自分の好き嫌いの感覚で決めていい」
このどちらの見方も、一般的にアートを評価する方法だとふつうに考えられています。しかしこのどちらも結局は場当たり的な言葉しか生みません。そして場当たり的な気持ち良い言葉を多くの人が使い始めると、ていねいに切実に見て考えようとする態度は抑圧されていきます。
場当たり的な言葉に覆い尽くされてしまうと、私たちはほんとうに自分にとって大切なものについて考える言葉を持てなくなってしまいます。東京オルタナ写真部のアート批評ワークショップと読書会は、切実なものを考えるための言葉をつかみ直すための試みとして始まりました。これは、多数を頼みにした安全な場所から発せられる言葉に抗いながら、自分の言葉を見つけていく挑戦とも言えます。
私たちの読書会と批評会はどのような人にも開かれています。ただ参加にあたっては、意味のある議論へのリスペクトをお願いしています。と言っても、難しいことではありません。言葉でなんとでも言うのではなく、意味のあることを話し合い、いっしょに考えていきましょうというお誘いです、もし参加にあたってご質問などがありましたら、お気軽にお知らせください。
info@tokyoaltphoto.com : 東京オルタナ写真部メール
私たちの読書会と批評会については、こちらのブログ記事もご参照ください。