なぜか世界のあちこちで、ときどきインドの写真屋の話を聞いた。
そしてそのなぞが突然解けた。
ただし、インドではない。アフガニスタンだ。
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以前、長い旅行をしていたとき、別の旅行者から妙なことを聞いた。
「インドでは道ばたに写真屋がいるんだが、その場ですぐに撮影した写真がもらえる。
高価なインスタントフィルムを使っているわけはないし、どうやって写真を撮ってるんだろう?」
その後、旅行が縁で友人になった写真家が、あるときこんなことを言った。
「インドでは道ばたに写真屋がいるんだが、その場ですぐに撮影した写真がもらえる。
高価なインスタントフィルムを使っているわけはないし、どうやって写真を撮ってるんだろう?」
最近、だいとうの作品を見せてほしいと、わざわざベルギーからやってきた青年がいた。その彼が一緒に歩いていてふとこんなことを言った。
「インドでは道ばたに写真屋がいるんだが、その場ですぐに撮影した写真がもらえる。
高価なインスタントフィルムを使っているわけはないし、どうやって写真を撮ってるんだろう?」
えーい!インドの道ばたの写真屋が気になって夜も眠れんわい!
というようなことはないが、道ばたのインスタント写真屋のことはそれなりに気になっていた。
ところで、突然そのインスタント写真屋のことがわかった。
ただし、インドではない。アフガニスタンだ。
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アフガニスタンの道ばたで開業しているインスタント写真屋たち。
彼らに取材し、技法を学び、さらには個人史を聞き取り、それらを総合してアフガニスタンの写真文化史を描こうとする調査プロジェクト「AFGHAN BOX CAMERA PROJECT」。
ともあれ、まずは彼らの商売道具であるボックスカメラ「kamra-e-faoree」の仕組みを簡単に説明してみよう。
見た目はレンズの付いた箱。
だがなんと、このボックスカメラ「kamra-e-faoree」は、カメラと暗室を兼ねている。
中には、現像液と定着液の入ったトレーがあり、覗き窓から見ながら現像もできるのだ。
撮影にはフィルムは使わない。使うのは写真用の印画紙だけ。
撮影手順は
後ろのドアからピントガラスを見ながら構図とフォーカスを調整する。
ピントグラスの位置に写真の印画紙を貼付ける。
レンズキャップを開閉して露光。
印画紙をピントガラスからはがして、現像する。
このとき、中に光が入らないように覗き窓には目をぴったりくっつける。
手は長い布の袖を通して中に入れる。
この箱には明かり取りの小窓があって、赤いガラスがはまっている。印画紙はこの窓から入ってくる赤い光には感光しないので、目で見ながら現像することができる。
現像ができると取り出して水洗。
この時点で印画紙に写っているのは、当然ネガ像。
これでは顧客は満足しない。
ポジ像にしないといけない。
どうするか。
複写します!
箱についている複写用の台に撮影した印画紙(ネガ像)を貼付ける。
あとは同じ要領で撮影~現像。
すると写真が完成!
ボックスカメラの使い方完全解説動画!
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AFGHAN BOX CAMERA PROJECTのサイトには、ボックスカメラの歴史も詳しく書かれている。
詳しい由来ははっきりしないが、ボックスカメラ「kamra-e-faoree」は1950年頃にインドから入ってきたらしい。
その後、イスラム原理主義のタリバン政権下では写真は原則として禁止された。ボックスカメラの写真師たちも、商売道具を隠すか壊すかするしかなかった。
タリバンが去り、ストリート写真師たちは再び「kamra-e-faoree」を物置の奥から取り出して商売を始めた。
だが彼らの写真に必要な印画紙が手に入りにくくなっていた。
写真のデジタル化のため、印画紙が生産されなくなってきたのだ。
産業グローバリズムは、ここでもまた「kamra-e-faoree」という地域文化を駆逐しつつある。
アフガニスタンのボックスカメラは間もなく消え去る運命にあるのだ。
だが、忘れてはならないのは、この露天の写真師の道具で撮影された写真は、アフガニスタン人自身によって撮影されたアフガニスタンの姿だということだ。
アフガニスタンの激動の時代とともにあった写真文化。
それがアフガニスタンのボックスカメラ「kamra-e-faoree」なのだ。
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さてところで、
消え去る運命にある辺境の写真屋の話が、なぜ「アナログ写真の逆襲」なのか。
その理由のひとつはもちろん、だいとうのえこひいきだ。
グローバリズムの対極にあるアナログ写真文化。
スポーツ観戦していても、つい負けている方に肩入れしてしまう、あの心境だ。
やせ蛙 負けるな一茶 ここにあり
そしてもうひとつ理由はある。
それはまた次回に。
(アフガニスタンの箱カメラ その②へ続く)