長い間、人々は動く映像を夢見ていた。


もっとも古くは、フランスやスペインの洞窟の壁画に、動物の動きを表したような表現があることを「動く映像」の先駆けとする歴史研究もあるらしい。

しかし映像技術史的には19世紀の一連の研究が動く映像=映画を実現させたとされている。

映画技術の初めには、まずソーマトロープゾートロープといった、視覚玩具があった。これらは見方を工夫したパラパラマンガという感じの道具で、おもちゃの域を出ないものだったが、それでも映画の原理を利用した初めての映像機器だった。

フェナキストスコープ 1893年 Wikipedia
上のディスクから構成した動画

その後、写真が発明されたが、初期の写真はシャッタースピードが遅く、動きのある物の撮影はできなかった。しかし高速シャッターが切れるように改良されると、動きを止めた写真を連続で撮影できるようになった。

 走る馬の連続写真 1878年 Wikipedia

ここで、
「パラパラマンガ」と「連続写真」が合体して「映画」の誕生!

…とはならなかった。

パラパラマンガのたぐいは一瞬で終わってしまう。映像の時間を長くするためには連続写真を帯状のものにプリントしなくてはならなかった。帯状の写真…そう、それはつまりフィルムのことだ。動く映像を実現するには、写真フィルムの開発というブレークスルーが必要だった。

フィルムができたのが1890年ごろだが、間髪を入れずにエジソンとリュミエール兄弟がフィルムを利用した映写装置を発明。両者ともまるでフィルム以外の仕組みは全部できていて、あとはフィルムの開発だけを待っていたかのようだ。おそらくその通りなのだろう。

エジソンのキネトスコープ Wikipedia

そのようなわけで、当然ながらデジタル以前の映画は全てフィルムで撮影されてきた。フィルムが発明される前に映画はなかった。

だから、映像アーティストのAntonio Martinezが公開したビデオ作品”Near the Egress"は、まさに夢幻的だと言える。彼は、フィルムが発明される以前の写真技法であるティンタイプでこの映像を構成したのだ。

ティンタイプは、暗室で準備した材料を1枚撮影するたびに、再び暗室に持ち込んで現像しなくてはならないため、連続写真には向いていない。しかもティンタイプは薄い鉄板に撮影される一種のインスタント写真なので、それで連続する映像を作ることは、ティンタイプが実際に使われていた時代には不可能なことだった。

Antonio Martinezはこの映像作品のために800枚以上のティンタイプを準備し、それを1枚ずつスキャンしてこの映像を構成した。彼がそのティンタイプをどのように撮影したのかは分からないが(サーカスの写真をティンタイプで複写したのかもしれない)、ともあれ、完成した作品はめまいを誘うほど幻想的だ。

この映像は、映画の誕生よりもさらに昔の、スライド映写機が「マジックランタン(幻灯機)」と呼ばれていた時代の映像体験を彷彿とさせる。

Near the Egress from antonio martinez on Vimeo.

ファンタスマゴリア

18世紀に流行した幽霊ショー。マジックランタンを使って上演された。

ファンタスマゴリア 1885年 Wikipedia

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